妖怪

 とりわけ暑かった今年の夏の話である。

 玄関の戸をあけて、その男を見たとき、わしは思わず後ずさった。
 子供のころ絵本でみた巨大な蛸入道が目の前に立っていたからだ。
 じっさい一瞬、現実の世界が消えて、絵本の世界へワープしたかのような錯覚があった。

 彼はそれほど大男だった。おそらく2メートルは超えているだろう。しかも太っている。その体は玄関の入り口をほとんど塞いでいた。

 顔も大きかった。太っているせいか、まん丸。
 しかもそのうえ頭に毛がない。剃っているのだ。

 その日はとくべつに暑かったこともあって、ふき出た顔と頭の汗をしきりにタオル地のハンカチで拭いている。その顔と頭はまっ赤だ。それが蛸入道を連想させた理由にちがいない。

「お休みのところお邪魔して申し訳ありません」
 男は意外にも腰を深くかがめてあいさつした。できるだけ自分の顔がわしの顔の高さに近づくようにしながら(といってもまだだいぶ上のほうにあったが)、風体に似合わないやさいしい声を出した。
 笑っていなければ相手を恐れさせる顔だが、目を細めるようにして満面を笑顔にしている。
「先ほどインターフォンで申し上げましたように、○○新聞の、新しくこの区域担当になりましたMと申します」
 そう言って男は、大きな手の中にすでに用意してあった名刺を、両手でそっと差し出した。話し方も、名刺を差し出すときのしぐさも、ゆっくりと丁寧で荒々しいところはまるでない。むしろ相手に安心感を与えるようなおっとりとした雰囲気である。

 そんなMの姿をあとで思い出して、わしは思った。
 おそらく世間の大半の人間は、この男と最初に顔をあわせたとき、わしと同様の反応を示すのにちがいない。
 そしてそれは彼にとって、決して快適なものではなかったのにちがいない。ひょっとすると彼の性格は、その体形・容姿が与えるものとはおよそ反対であるのかもしれない。そういうことは珍しいことではない。

 話が少しそれるが、世の中を見まわしても、自分にぴったり合った仕事に就いている人は少ない。スケートの羽生結弦や野球の大谷翔平のように、容姿・才能が自分の仕事と誂えたようにマッチしている幸運な人間は、ごくごく一握りだ。ほとんどの人は多かれ少なかれ自分の資質と仕事のあいだにギャップあって、悩みながら仕事をしている。
 この夏わが家の玄関にやってきた某新聞販売店の区域担当員M氏も、まちがいなくその1人であろう。

 新聞の販売競争は厳しいと聞く。定期購読者につける景品競争などもあるが、最後は結局、玄関に勧誘にきた拡張員や地域担当者の人間性・・・人間としての印象の良し悪しが決め手になることも多いだろう。

 それを考えると、海坊主的外観がMを悩ませたであろうことは想像に難くない。Mの仕事がプロレスラーか大相撲だったら良かったのかもしれない。リングや土俵の上でたたかう相手は、彼を前にしただけで腰が引けるだろう。戦意を失った相手とたたかうのは難しくない。成績も上がったにちがいない。

 しかし、神はそれほど人間にやさしくない。神はMの容姿に最もふさわしくない職業を彼に与えた。わざわざ・・・とへそ曲がりのわしなど言いたくなる。

 Mは悩んだかもしれない。が、ただ悩んでいるだけではバカと同じだ。だからといって、こんなえげつないミスマッチングをしたヤツにギロチン・ドロップをかけるには、相手は少々高い所にいすぎるし、与えられたウマの合わない仕事を土俵に叩きつけるのは簡単だが、めしのタネを失う。

 ここからはわしの想像だ。
 この小さくして大きな問題に直面したMは、賢明にもみずからの現実をあるがままに受け入れたのだ。その上に立って、どうすればよいか、どうするのが一番よいか・・・を考えた。いやもっと言えば、そのままではマイナスになる自分の外観を、逆にプラスに変える方法はないだろうかと考えた。

 そこでMはあることを思いつく(・・・とわしは想像する)。
 発想を逆転させればいいのだと。
 つまり一般家庭を訪ねて、玄関に主婦や定年後の爺さんが出てきたときに、圧倒的に不利な外観が有利になるような手を考えればいいのだと。

 わしも経験したことがあるが、たとえばあまり付き合いのなかったときには、おしゃべりで出しゃばりで軽薄な奴だなと思っていた男が、何かのきっかけで(たとえばいっしょに仕事をするなどして)よく知ってみると、意外にも人生や世の中のことを深く考えていて、しかも誠実な人柄だったと分かることがある。そんなときには彼への信頼がいや増す。外観と実体との間にあったギャップが、逆にこんどは彼への大きな信頼感を生みだす。

 Mはそこを考えたのではないか。彼の人間性がじつは見た目と逆であることが分かれば、自分への信頼感は普通の販売員より大きくなる・・・と踏んで実行しているのではないか。

 そう考えると、彼が頭を剃っていることにも納得がいく。
 彼の丸坊主は猛暑対策のためではないと思う。わしが最初に彼を見たとき連想した海坊主的見た目効果を、より高めるために取った戦術のひとつなのではないか。

 だとすると彼は間違っていなかった。
 少なくともわしには効果があった。しばらく話しているうちに、M氏の人間性が恐ろしげな外観とは逆に、気の弱そうなまじめな人物らしいことに好感をもって、あと1ヵ月半で今の契約が切れたあとも、つぎの6ヵ月を継続購読する契約をしてしまったのだ。

 彼は、前回の区域担当者がつけてくれたサービス景品にもう一品うわ乗せしてくれて、巨大な体を90度折り曲げてから帰って行った。

 分かっているよ、あんたらがいま思ったこと。
 ボケかけた爺さんをちょろまかすのは軽いもんだナ・・・って思ったんだろ。

 ま、わしもどっかでそう思わないでもない。

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