奇跡の牛
よく言われるように、年をとると涙腺がゆるくなる。
先だっても、ぼんやりテレビを見ていたら、やたら涙が流れ出て困った。
宮城県のとある農業高校が東日本大震災に襲われた。
海に近い場所にあったために全面的に津波にのまれた。
その農業高校の部活のひとつに、酪農部というのがあった。
部員たちは34頭の牛を飼っていたが、全頭、波にのまれた。
だがその後、14頭が奇跡的に生き残っていたことが判明した。数キロも流されていた牛もいた。それらの牛は “奇跡の牛” と呼ばれた。
同じように家族や友だちを失いながら、自身は生き残った酪農部の生徒もいた。
彼女ら(部員のほとんどが女生徒だった)は、けんめいに生き残った牛たちの世話をした。この14頭の牛たちの命をつなぐことが、不運にも命を失った友だちや、波の中に消えた他の牛たちに対する生き残った者の義務だと感じたからだ。
そうすることによって、彼女ら自身も失いかけていた生きる力を取り戻した。
わしがたまたま見たテレビは、そんな農業高校・酪農部の生徒たちの日々を追ったドキュメントだった。(数年前に放送されたものの再放送)
部員たちは、14頭の牛の1頭1頭に名前をつけた。
亡くなった友人たちの名前にちなんだものが多く、ことあるごとにその名を呼んで、一生懸命に世話をした。
あきらかに、震災前の部活動とはなにかが違った。
気のせいかもしれないが、牛たちの部員に対する反応も、以前とはなにかが違うような気がした。人間と牛という境界をこえて、同じ震災を生き延びたもの同士の連帯感のようなものを感じた。そうなるといっそう牛の世話に身が入った。
ある牛の、片方の後ろ足が病気になった。人間でいえば膝小僧あたりが大きくはれ、不自然に曲がって、充分に体重を支えられない。歩くと大きくびっこを引いて痛そうだ。
その牛の世話を担当していた部員2人は、こころを痛めた。顧問の先生と相談して獣医にも診てもらったが、良くならなかった。長年牛を飼っているプロたちにも訊いてまわったけれど、みんな首を傾げるばかりだった。結局、原因も治療法も不明のまま日が過ぎていった。
2人は、何をしていてもこの牛のことが心を離れなかった。何もしてやれない無力な自分たちが悔しくて、他の部員たちが帰ったあとの部室でふたりしてよく泣いた。夢のなかで元気に跳ねまわっている牛の姿をみて飛び起き、夢とわかって朝まで泣き続けたこともある。
ところがある時間が経ったあと(どのくらいの時間だったか聞きもらした)牛の足が自然に良くなった。そのときの2人の喜びようをどう表現すればいいだろう。テレビで見ていただけのわしらまでいっしょに抱き合って喜びたいくらいだった。
なぜとつぜん牛の足が良くなったのかは分からない。獣医にも、経験をつんだ酪農家たちにも分からなかった。
だが2人は信じている。亡くなったかつて部員たちが、見かねてあちらからやってきて助けてくれたのだと・・・。
また別の牛は震災後妊娠できなくなった。この牛は震災まえに受精して懐妊していたのだが、震災後に死んで産まれ、それ以後妊娠しなくなった。
現在の日本では子牛の99%は人工授精で産まれるのだが、その後なんど受精を試みても受胎しない。
搾乳が目的の酪農では、出産しない牝牛の行き先は決まっている。そういう現実があるのを経験することも勉強だ・・・ということは、顧問の先生に言われなくてもよく分かっていた。
しかし、亡くなった友人のつもりで世話してきた担当の部員にとっては、それは堪えがたい現実だった。この牛が妊娠しないのは、おそらく津波にのまれた時のトラウマが原因だろうと言われていただけに、よけいだった。必死に頼みこんで半年だけ処置を延ばしてもらった。そして寝食を忘れて世話をつづけた。
ここでも奇跡のようなことが起きた。約束の処置期限が近くなったとき、この牛が受胎したことが分かったのである。そしてぶじ健康な子牛を出産したのだ。
そのときの部員たちや顧問の先生の喜びようといったらなかった。それを取材した映像は、みんなの顔が涙のなかに埋まっているみたいに見えた。
ここでも、 “亡くなった部員たちが手を貸してくれたのだ” という思いは、牛の足が治ったときには首を傾げていた者もふくめて、ほぼ全員の暗黙の了解になった。
わしの印象に残っているのは、ある部員が最後に話したつぎのような言葉である。
「もし震災に遭っていなかったら、また生き残った牛たちの世話をしていなかったら、わたしはもっともっといい加減な人間になっていたと思う」
まだどこかあどけなさを残した少女のこの言葉を聞いたとき、わしは涙を止めることはできなかった。
良い話しですね♪
若い人はホントに心がきれいで、素直で、まっすぐで・・・
一生懸命、一筋に頑張れることが羨ましい。
そんな若者の情熱に、ちょっと擦れてきた大人も青春に戻れるように思います♪
だから、若い人が頑張る姿を見るのは大好きです♪
出来るなら手伝ってみたいともいます♪
自分のよごれた心が洗われるのがわかります♪
恥ずかしながら、TVを見てないのに涙が出た!
こういう若い人たちを、出来ることなら手伝ってあげたい
と思ったむらさきさんの気持ちは大切でしょうね。
わしなど人間として古いから、「艱難なんじを玉にす」とか
「若いときの苦労は買ってでもせよ」なんて古いことばを
思い出していました。
まちがいなく彼女たちの未来は、素晴らしいものになるでしょう。