悪ガキ時代に学んだこと
最近はイジメをはじめとして、少年少女がひき起こす事件の報道が多い。
そんなニュースに触れるとつい眉をひそめるが、自分の子供時代のことを振り返ってみると、あんまりひとのことは言えない。少なくともわしは・・・。やることの内容が変っただけで、わし自身もほめられないようなことをしょっちゅうやっていた。
前にも書いたように思うが、思春期に大きく性格が変わるまでのわしは、悪ガキを絵に描いたような子供だった。ヒマさえあれば悪ふざけをして、周辺に迷惑をかけた。多少オッチョコチョイの気味もあったので、多くは他愛のないものではあったものの、大人になってからもときどき思い出して、後味の悪い思いをするものも中にはある。
そんなひとつを、昨日テレビドラマを見ていてふと思い出した。
小学校5年のときだった。
担任のK先生は若ハゲだった。40代はじめですでにいわゆる”つるっ禿”。特に前頭部はピカピカに光るみごとな禿頭だった。わしらは陰で、
「K先生は毎朝、磨き粉をふりかけて磨いてるんだって」
などと冗談を言ってよろこんでいた。
しかしよくできた先生で、ふだんから頭のことなど毛ほども気にする風はなかった。わしらの軽口も耳に入っていたはずで、不快でないことはなかったと思うが、なにも言わなかった。
ある日の習字の時間だった。
生徒たちが硯で墨をすっているあいだ、K先生はその日に習う語句をいくつか黒板に書いていた。
そのひとつに「輝く光 希望の朝」という語句があった。わしは瞬間的にその言い換えを思いついた。場所がらを考えればいいのに、先も書いたようにおっちょこちょいだったわしは、周辺の級友たちの受けをねらって小声ですぐそれを口にした。
「『輝く頭 磨く朝』のまちがいじゃないの?」。
黒板に向かってチョークを動かしていた先生の手が、ちょっとだけ止まったように思ったが、ほんの一瞬で、板書を終えてこちらへ向き直ったときはいつもと変わらない顔だった。
だが、先生の耳にはちゃんと届いていたのだった。
そのときわしの席は教室の後ろのほうだったし、周辺にだけ聞こえる小声のつもりだったのだが、自分が思う以上に声が大きかったらしい。(今でもわしは声は大きいと言われる)
実はそれまで、わしはこの担任には好かれていた。ことばは悪いがヒイキにされていた。この習字の時間中の振るまいも、そのヒイキについ気を許してハネ上がった感がある。
この時を境にして、K先生のわしに対する態度が一変した。
たとえば、それまでは学校行事など、何かというといつもわしを指名してやらせていたのに、それが一切なくなった。また登校時や下校時にあいさつをしても、こちらの方を見もしなかった。
おそらく第三者には分からなかっただろうが、わしにだけははっきりと伝わる”拒否”の姿勢だった。それは結局、1年半ほどのちに小学校を卒業するまで続いた。
この小さな事件はわしにさまざまなことを教えた。
”事件”直後は、いい気になっているとケガをする・・・というていどの気づきだったが、その後年月をへて思い出すたびに、別の学びを得た。
たとえば、人間はこころに思っていることと顔に出すことは違う、とか、人間のコンプレックスは意外に複雑で重いものだとか、さらには、このマイナスのエネルギーをうまく使えば逆に大きなプラス・エネルギーへ変えることができるとか。
しかしいちばん大きな学びは、人が人に対するときには(特に弱い立場の人に対しては)、常に相手のこころへの配慮を忘れてはいけない、ということである。どんなに親しい人でも、相手の中へ土足でずかずかと入っていくようなことは、心してすべきではないと・・・。
それは、大人になってわし自身がいくつものコンプレックスを持つようなって、初めて分かったことであった。