父の死

父の死

 父が亡くなったのはのは、今のわしより20歳近くも若いときだった。
 前立腺がんだった。
 家が経済的に困窮していたときだったので、父は体の不調を感じながらも長く我慢していたらしい。見つかったときには全身へ転移しており、医師はいちおう開腹したのだけれど、結局なにもせずに閉じたということだった。

 だが、それらは後になって知ったことである。そのときまだ学生だったわしには、家族はなにも知らせてはいなかった。知らせたところでどうなるものでもなかった。

 だから、「チチキトク スグカエレ」という電報を受け取ったときは、寝耳に水だった。
 当時は新幹線もまだ開通していないころで、東京から実家へ帰るのは一日がかりだった。朝いちばんに列車に飛び乗って、一日じゅう車窓に流れる日本の農村風景を眺めていると、さまざまな感慨がゆっくりと浮き沈みした。

 実は、わしと父はあまりしっくりいっていなかった。
 それには、わしの小学生時代に起きたある事件が関係している。わしと父以外、ほかの家族は誰も知らないある出来事・・・・。

 いまは紙幅がないのでその具体は省くが、この出来事はその後の父とわしの両方に少なからぬ影響を与えた。
 わしには「自分は父親に愛されていない」という深い哀しみを、そして父には、「どのような事情があったにせよ、絶対に親が子にしてはならないことをしてしまった」という後悔と慚愧の念を与えた。
 それはそれぞれのこころの底に沈殿して、以後の父とわしの関係に微妙に影響した。

 わしは何かというと必要もないのに父に反抗し、父はその事件で生じたわしに対する弱みからだろう、理不尽な反抗をする息子に毅然とした態度をとらなかった。それがまた2人の関係にさらに微妙に波及した。お互いに相手のことを強く意識しながら、しっくりしない関係がつづいた。
 
 わしが病院へ着いたときには、別人のように痩せた父は、こけた顎を間歇的に動かしながら、酸欠状態の金魚のような息をしていた。そして三十分ほどして亡くなった。まるでわしの到着を待っていたかのようだった。

 医師が臨終を告げたとき、まず姉がむせび泣いた。
 それをきっかけに、火山が噴火したように泣き出したのはわしだった。
 わしはそんな自分が自分でも意外だった。大学生にもなっていながら、子供のように大声で号泣する自分を、どこかで恥ずかしいと思う気持ちもあって、必死に抑えようとしたのだけれど、意思の力ではどうにもならなかった。

 葬式を終え、東京の下宿に戻ってちょうど1週間めの深夜だった。
 夢の中にいきなり父が現れた。父は下宿の部屋の引き戸を開けて入ってきて、わしの名を呼びながら手を握り引っぱった。

 そこでわしは目が覚めたのだが、その生々しい感触といったらなかった。
 部屋に入ってきたときの様子からして、ふだん見る夢とははっきりと違った。現実そのものと何も変わらなかった。
 それは生まれて初めて経験する感覚で、その後も同様の経験をしたことはない。

 わしは部屋の電灯をつけた。もちろん誰もいなかった。しかし、手のひらに残っているひんやりとした父の手の感触は、現実のものとしか思えないリアルさでずっと残った。

 時刻は深夜の2時すぎだったが、わしはそのまま眠らずに夜を明かした。部屋の壁にもたれて膝をかかえ、リアルに残る手のひらの感触に意識を向けながら、ぼーッとしていた。
 そのうち、べつだん感情が動いたわけでもないのに、目尻からしずかに涙があふれだして、なかなか止まらなかった。

 あれからすでにほぼ60年の歳月が経っている。
 それだけの年月を経てもなお、目をつむって意識を向けると、手のひらにあのときの父の手の感触が甦る。
 80年のわしの人生のなかでも不思議な体験のひとつである。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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