目に見えない糸

 わしの故郷は山の中である。
 
 時代の変化で今は変わりつつあるが、つい10年くらい前までは、土地の人みずからが自虐的に “日本のチベット” と呼んでいたほどだ。
 
 だがそんな辺鄙な在郷にも名士はいる。
 わしが子供のころの土地の名士は、何といってもS先生だった。
 
 S氏はそのころ、東京で活躍する有名大学の教授だった。洋行帰りで、”その道では日本でもトップクラスのエライ先生” というのが村人たちの認識だった。 “洋行帰り” など、当時は近隣在郷にひとりもおらず、それだけで出世頭の特別な存在だったのである。
 
 わしは子供ながらにも、「その道」とは何の道なのか知りたくて、大人たちに尋ねたのだが誰もよく知らなかった。要するに何をしているかは大して問題ではなく、おらが村の出身者が東京で活躍しているというそのことが重要だったのである。ちなみにわしの長兄はS先生の名前をそのまま戴いている。
 
 S先生はもちろん東京住まいで、村に帰ってくるのは数年に1回ほどだったと記憶する。
 それでも村のはずれに大きな家があった。周辺の田舎家とはひと味ちがう洋風の匂いをまとっていて、まさしく “洋行帰りの先生の家” だった。
 
 だがその家に誰かが住んでいる気配はなかった。いつも空き家のように静かだった。ただ、家まわりの庭には定期的にひとの手が入っているようで、それがなかったら、欧米のホラー映画に出てくる “幽霊屋敷” のようになっていたかもしれない。ともあれどこか神秘的な特別のオーラを放っていた。
 
 わしは19歳でふるさとを後にしてから、S先生のことも、幽霊屋敷めいた大きな家のこともすっかり忘れていた。再会するまでの十数年間、いちどもその存在を思い出したことはなかった。
 
 いま「再会」と言ったが、実はわし自身がその後S先生と会ったわけではない。
 会ったのは実はカミさんである。
 結婚して何年もしてから、たまたま何かの雑談のとき彼女の口からS先生の名前が出てきて、わしはびっくりしたのだ。
「えッ、どうしてキミがS先生のことを知ってるの?!」

 人生は不思議にみちている、というが、これもその小さな不思議のひとつだと思う。
 わしとカミさんの結婚はまったくの偶然だった。太平洋の真ん中で、北海道のリンゴと沖縄のヤシの実がたまたまぶつかったようなものである。生まれ育ちを始めとして、すべての面のおいてそれまでわしらの間に縁らしきつながりは全くなかった。いやないとそれまで思っていた。ところが一本の細い糸が、見えないところで繋がっていたのである。
 
 彼女は大学でS先生の教えを受けていた。
 それもS先生の講義に感銘していて、尊敬できる忘れられない数少ない教授のひとりだという。
 
 わしは初めて知った。
 S先生は、若いころ大手新聞社の美術記者をやりながらフランスに留学して文学博士となり、その後いくつかの大学の教授を歴任して、西洋美術史の日本の権威となり、紫綬褒章と勲三等瑞宝章を受章した美術史家であったことを・・・。
 
 で、S先生が何をする人かという子供のころの疑問は、遙かな時を経て思いもかけない形で解けたが、今はそのことよりも、まったくの偶然で結婚したカミさんとわしとの間に密かに埋め込まれていた、この細い糸のようなつながりの不思議のほうになぜか心を引かれる。
 

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