美術館にて

美術館にて

【犬も歩けば棒に当たる】
(1)何かをしようとすれば、何かと災難に遭うことも多いというたとえ。 (2)出歩けば思わぬ幸運に出会うことのたとえ。

 多くの辞書は、「災難にあう」と「幸運にあう」のどちらの意味も採用している。真反対だよ。どっちに当たるかで当人は、地べたの泥をなめるか、美人の唇をなめるかくらいの違いが出る・・・ってのにねぇ。
 
 さて、わしの場合はどっちの棒に当たることが多いだろうか・・・とヒマにまかせて考えていたら、3年ほど前に当たったこんな棒を思い出した。
 
 とある美術館で著名な某画家の特別展示をしたとき、ノコノコ出掛けた。雨になるかもしれないという予報だったので、携帯傘まで用意して・・・。
 
 そのとき展示されていた画家は、わしの好みのタイプではなかった。が、カミさんは見たがっていたし、しばらく外出してなかったので、久しぶりに遠出を楽しみたいという気持ちもあった。気分転換というか、うっぷん晴らしがしたかったの。何に対するうっぷんか、はっきりしなかったんだけど。
 
 ・・・という感じで出かけたのだが、展示内容にはやはり大して興味をもてなかった。本なら斜め読みの感じでざっと観終わるのに、大して時間はかからなかった。
 だがカミさんはおそらく、3倍くらい時間をかけるにちがいなかった。
 で、どっか座れるところはないかと館内を歩いて、区民ギャラリー(地域の住民のための貸し展示室)の前の通路に、座り心地のよさそうな長椅子がいくつか置いてあるのを見つけ、空いている椅子のひとつに腰をおろした。
 
 すぐ目の前は区民ギャラリーの入口だった。受付け机に四十歳前後の女性が三人いて、熱心におしゃべりをしていた。
 
 わしはデイバッグの中から本を取り出した。が、数ページも読まないうちにまぶたが重くなった。本を閉じ、ついで目も閉じた。
 
 かん高い声で目が覚めた。
 小学校低・中学年くらいの男の子が三人、目の前を走り回っていた。逃げたり追いかけたり体をぶつけあったりしながら、悲鳴とも歓声ともつかぬ声を全身であげている。
 
 しばらく眠気の残った目で彼らを追いながら、そうか、きょうは日曜だったな・・・などと思い、同時に、生きもののエネルギーの奔流を目に見える形で見せられている気がした。「生きている」というのはこれだな、と。
 
 そのうち走り回っていた子供のひとりが、つと仲間から離れて、区民ギャラリーの受付にいる中年女性のところへ行った。そしてひとことふたこと話をしてまた戻ってきた。
 
 どうやら彼らは、特別展示を観覧中の親を待っているのではなく、区民ギャラリーの受付をしている女性らの子供たちらしかった。
 
 そうとわかってみると、若い生命への賛嘆は消えて、別の感情が頭をもたげてきた。公共の場でわが子が傍若無人に走り回っているのに、注意ひとつしない母親たちへのかすかな不快感。
 
 ゆっくりと周辺を見回した。
 斜め前の長椅子の端に高齢の男性が座っていた。わしと同じくらいの年齢、あるいは少し上か。背筋をピンとのばし、目の前に高級そうなステッキをついて、そのステッキの頭に本をのせて視線を向けている。
 
 長椅子の他方の端には中年男性がいて、こちらは胸の前で腕を組み、上半身を背凭れにあずけて目をつむっている。働きざかりのエリートサラリーマンの休日、といったふぜい。
 ふたりとも叫声をあげて走り回る子供たちの中にいて、微動だにしない。
 
 わしは、子供らの母親へふたたび目をやった。
 相変わらずおしゃべりに余念がない。
 胸のなかの不快感はさらに水位をあげた。
 だがわしは、その不快感をのどの奥へ押し込んだ。そしてふたたび手元の本を開いて、目を落とした。
 が、同じ所をなんども繰り返して先へ進まない。
 
 斜め前の男性ふたりは、やはり同じ姿勢のままだ。彼らにもかすかな苛立ちを覚えた。
 
 わしは自分を嗤った。前のふたりの大人のどちらかが子供らに注意してくれることを、内心どこかで期待している自分を・・・。
 いい気なものだ。気になるなら、ひとに頼らず自分で注意すればいいではないか、と。
 
 だが、わしにはわかっていた。ここまで感情を抑えてきていま声を出せば、どんなに気をつけてもその声は尖ってくる。成り行きによっては小火山が噴火して、自分のほうが大声を出しかねない。
 
 そんな小さな人間である自分を、こんなところで再確認したくなかった。
 
 そのとき、隣の長椅子に人の気配がした。目をやると、おしゃれな帽子を被った八十歳くらいの品のいい老婦人がきて、腰をおろすところだった。
 彼女は椅子に浅く腰をかけたまま、大声をあげて走り回る子供たちを、楽しい光景でも見るようにしばらく目をほそめて眺めていた。
 
 そのうち、子供たちのひとりと目が合った。すると老婦人は微笑みながら軽く手招きした。
 少年は不審そうな顔をして近づいてきた。
 
 老女は手首にからませていた手提げ袋の口を開けて、中へ手を差し入れながら、足をとめてけげんそうにこちらを見ている他のふたりの子供たちにも、あなたたちもいらっしゃい、と声をかけた。
 
 三人の少年が老婦人の前に立った。彼女は袋の中からなにか取り出すと、
「昔からある、オキナワのあめ玉よ」
「・・・・」
「特産の上等の黒砂糖を使ってるから、とっても美味しいわよ。ほら、お口の中に入れてごらん」
 そう言って、まるで大切な宝石でも渡すように一人ひとりに手渡した。
 
 少年たちは、まるで操られたように素直にあめ玉の紙をむいて、黙って口の中へいれた。
 かすかに変化したその顔は、老女のことばにいつわりがなかったことを示していた。
 
 すると老婦人は小さく手を動かして、子供たちにもっと近づくように促した。
 少年たちの黒い頭が三つ、老女のおしゃれな帽子をとり囲むかたちになった。
 
 彼女は急に声を低くして、少年たちに何かをひそひそ話しかけた。
 何を話しているのか聞こえなかったが、まるで、この美術館に隠されている秘密の宝物でも教えているように見えた。
 
 やがて少年たちはうなずいて老婦人のそばを離れた。うちひとりが受付の女性のところへ行って、ひと言ふた言なにかいい、戻ってくると三人そろってどこかへ去って行った。
 少年の嵐もいっしょに去った。
 
 静寂がもどり、わしはふたたび本を開いた。
 が、やはり、頭には何も入らなかった。
 
 展示を観終えた妻がやってきた。
「こんなとこにいたの。・・・あら、なんか元気がないみたいね、どうしたの?」
「いやなんでもない」
「・・・そう? ならいいけど」
 
 美術館を出ると、外は小雨が降りだしていた。電車の駅まで歩くつもりだったが、雨の中を歩くのはしんどかった。というか、雨が降ってなくても、そのときわしにはそんな元気はなかった。
 
 図書館近くのバス停で、用意してきた携帯傘をさしてバスを待った。
 そのときふと、よく知られることわざのもじりが頭に浮かんだ。
 
【犬も歩けば自分に当たる】
 

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