親の器

桑田真澄の息子matt

 最初に彼をテレビで見たとき、その異様な姿に驚いた。
 
 ひと言でいえばマネキン。
 百貨店や洋装店のショーウィンドウに並べられているあのツルリとした人形。
 その人形の口が動いて、人間がふつうにしゃべるようにしゃべる。しゃべる内容もふつう。ただし、人間としての様相はふつうではない。少なくともわしには・・・。
 
 そのアンドロイド(人間そっくりのロボット)みたいな若者が、元巨人軍投手・桑田真澄の息子と知ってもういちど驚いた。

 その上に、さらにもういちど驚きに近い気持ちになったのは、父親である桑田真澄が、そんな息子を拒否せずに受け入れていることだった。
 
 手塩にかけたわが息子が成人し、そういう姿になって目の前に現れたら、ふつう親は驚きとともに拒絶反応を起こすだろう。感情的になって理性を失い、怒りにまかせた行動に走る父親だって少なくないかもしれない。
 
 まして父親が世にひろく名を知られた著名人であれば、世間の目を気にして、拒絶反応はより大きくなるにちがいない。
 
 ところが桑田真澄はちがう。おだやかに彼を受け入れている。
 異様なメークアップに毎日4,5時間かけるという息子を容認している。
 ふたりいっしょにテレビに出て、笑いながら(頬がやや引きつっているようにわしには見えたが)息子の肩を抱くツーショットまで撮らせている。
 
 もちろん彼にも葛藤があったにちがいない。
 だが感情の沸騰に押し流されて、事態を客観的に見る目を失ってしまいがちな人間の弱さに陥っていない。
 
 誰にでも出来ることではない。
 彼が高校時代そしてプロになってからも、長く第一線で活躍してきたことが改めて納得できる思いがした。
 
 人間は生まれるとき親を選べない。
 それでいて子の人生は、親によって大きな影響を受ける。
 親の器しだいで、ひとりの人間の一生の土台が決まる場合だって少なくない。
 
 わしには子供がいない。
 で、自分の親としての器がどんなものかという手触りが持てない。
 ま、大きくはないのは確かとしても、その上あっちやこっちがデコボコして、手触りもあまりよろしくないのではないか。
 
 それは、もし生まれていたらその子には不幸をもたらしたかもしれない。
 生まなかったのは正解だったかも。
 もう一つのしんどい人生を作り出さなかっただけでもね。
 案外それが、わしの一生でなした最大の善行だったかもしれない。

 

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