夫に言われて妻がイラッとする言葉(上)
先日、某局のモーニングショーで、「夫に言われて妻がイラッとする言葉」というのを放送していた。
カミさんも隣で見ていたので、なんとなくお尻の座りごこちがよくなかったが、いきなりチャンネルを変えるのもナンなので、何食わぬ顔をして見ていた。
まあ出るわ出るわ、「夫が口にして妻がイラッとする言葉」。
①「ごはんまだ?」
②「俺は働いているんだ」
③「休日くらい休ませてよ」
④「疲れてるから先に寝る」
⑤「いつも楽しそうでいいね」
⑥「子供が泣いてるよ」
⑦「言ってくれればやるのに」
⑧「夕ご飯、何が食べたい?」と訊いたら「なんでもいいよ」
⑨ 同じ問いに対する返答で、「簡単なものでいいよ」/「楽にできるものでいいよ」
ほかにもあったと思うが忘れた。
しかし物忘れが得意なわしがこれだけ覚えていたのは、自分にも心当たりするところがあったからだろう。
確かにこれらの言葉は、世の夫たちが妻をムカつかせているとも思わずに、ふだん無意識に口にしていると思う。わしを含めてね。
で、チロリと隣を盗み見たら、わが連れ合いは「ほらね、わたしだけじゃないでしょ?」という顔をしていた。わしはそっと目をそらした。
しかし、こうして改めて目の前に並べて、少し距離をおいて眺めてみると、妻たちが気炎をあげる気持ちはあながち分からないわけではない。
たとえば①に対しては、いまや共働きがふつうの奥さんたちの、こんな声が聞こえてくる。
「会社の仕事を大急ぎで終わらせて、帰りにスーパーに寄って食材を買って、小走りで帰ってきて、ひと休みもせずに台所に立っているのよ!」
たしかにそういうケースはあるだろう。そのような妻の事情に配慮することなく食事をせかされたら、わしが妻でも頭にくる。「だったら少しは手伝ってよ」/「手伝ってやろうという気は起きないの?」と・・・。
②に対しては、「働いているのはあなただけ?」って妻は言いたいだろう。
③には、「わたしの休日はどうでもいいの?」と。
④には、「わたしだって疲れてるの。サイボーグ妻だと思ってない?」
⑤には、「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・って高杉晋作の言葉、あなた知らないんだ」
⑥には、「あなたの子供ではないの?」
⑦には、「いちいち言わなくても察してよ」
⑧には、「献立が浮かばないから訊いてるの。協力してやろうって気はないの?」
⑨は⑧と同系だが、「料理には簡単にできるものも、楽にできるものもないの!」
以上、妻の言い分を代弁すれば、だいたいこういう感じになるのだろうと思う。
しかし、どちらの側にも立たず客観的・中立的な視点でみれば、総じて双方とも自分の思いや立場からモノを言っている。相手の立場や気持ちを思いやる余裕、配慮はない。
そこでは自我が前に出てきて争いになる。突き詰めれば、それは生きものの縄張り争いだ。もっといえば動物本能に由来する生存競争。
しかし人間は、「万物の霊長」と自ら名乗るおこがましさを持っだけあって、基本的には一応、DNAが規定するこの本能をコントロールして、他者への配慮をしようとする。
人間は社会生活を営む動物なので、そうしないと自分にハネ返ってくるからではあるが、下等な動物には見られない賢明な営みであることはまちがいない。
この原則は、最小の社会単位である夫婦の間でも必須である。
ところが夫婦・親子のように関係が近くなると、この他者への配慮がついおろそかになる。近すぎて他者であるという認識が薄れる。その結果、上記のようなアツレキと生みだす。
こうしたアツレキを避けるには、双方ができるだけ客観的な視点に立って、相手の立場・気持ちへの心くばりをすることだ・・・と誰でも分っているのだけれど、これほど人間にとって難しいワザはない。
その難しさをわずかでも軽減するには、相手側の気持ちや事情を少しでも知ることは、少なからず助けになると思う。
そこでわしも男の端くれなので(男力はだいぶ衰退してマスけどネ)、冒頭に列挙した「夫が口にして妻がイラッとする言葉」について、男の立場から反論・・・ではなく、弁解・・・でもなく、できるかぎり客観的視点を崩さないように努力しながら、説明・解説を試みたいと思う。(次回で・・・)
(次回へはこちら)
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