リメンバー・ミー

リメンバー・ミー

 もうだいぶ前になるが、偶然テレビで見た映画が面白かった。

 『リメンバー・ミー』というメキシコを舞台にしたアニメ映画である。
 2017年度のアカデミー賞やゴールデングローブ賞を受賞している映画だけど、日本ではあまり評判にはならなかったから、観たことのある人はあまり多くないのではないかな。
 
 話はぜんぜんちがうが、人間世界には “命日” と呼ぶ日があるよね。
 かつて生きていた人の命が、この世から去った日のことである。辞書には、
「親しかった故人と過ごした時間を思い返すことで、故人を変わらず大切に想い続けていることを、改めて確認する大切な日」
 とある。亡くなった人にとってはまさに「リメンバー・ミー」の日だ。
 
 この言葉をタイトル名にし、ストーリーの重要な柱にした映画を観て、舞台となったメキシコでも “命日” がとても大事にされていることを知った。
 人間の思うことはどこも同じなんだねぇ。

 さて、メキシコじゃなく自分たちの話になるが、2年半ほど前にカミさんの母親が100歳直前で亡くなった。
 それからまだそれほど日が経っていないのに(ほぼ3年余りくらい)、わしらは近ごろ彼女のことを思い出すことが少なくなっている。

 生きていた間は、何度もいっしょに食事に行ったり旅をしたりして、近くで密に生活していたし、自分たちがいま住んでいる住居は彼女が住んでいた家なのに、目の前から当人の姿が消えると、とたんに大して思い出すこともなくなるというのは、(人間って “生きていてナンボ” というところがあるにしても)ちょっとマズイんじゃないの・・・と少々反省するところがあった。

 で、カミさんと話し合って、まあ月に一度くらい義母のことを思い出す日というのを設けて、人で話をするいうのもいいんじゃないか、ということになった。

 そしてその日を月命日にしたのはまあ順当な選択だろう。月に1回やってくる義母の亡くなった日を、彼女のことをリメンバー、つまり思い出して話題にする日にしたのである。

 以後、義母の月命日には、食事時に彼女の写真を卓上に飾って、食べ物も彼女用に取り分けて用意し、そのときに思いついた思い出話を気楽にしゃべることにした。

 最初の3,4回はまあ悪くなかった。が、回を重ねるにつれ、思い出して話すことがだんだん少なくなった。思い出になるような話は数が限られているし、何となくその日の気分にそぐわないこともある。何より物忘れが進んだことが大きい。
 
 そうなってだんだん、この日が別の意味を持つようになった。
 つまり亡くなった故人を語るためのものではなく、生きている人間のことを語る機会に変わってきたのである。
 
 どういうことかというと、故人に、現在の自分たちの近況を報告する話をしながら、その実、それを聞かせる相手は亡くなった故人ではなく、生きている自分たち自身である・・・という感じになってきたのである。
 
 どんなに親しい相手でにも、いや親しい相手だからこそ、ストレートに話しにくいことがある。照れくさかったり、恥ずかしかったり、自慢めいて聞こえるのが嫌だったり、相手を傷つけて空気を悪くしたくなかったり・・・等々で口にしづらいのだ。
 
 そういう話を、自分たちの近況を故人に話す形にして言葉にする。つまり故人をいわばダシに使うわけだ。

 こういうときダシに使うのは、ふつう犬や猫などペットが多いのだが、わしらは故人を使っているところがヒドイ。・・・と我ながら思う。

 しかし考えてみれば、人間はそういうことを、この例にかぎらず別のケースでもちょくちょくやっいる。それは生きる知恵だと、自分に都合のよい弁解を用意しながら・・・。
 
 結局、人間は行きつくところ、文字どおり “リメンバー・ミー” なのだ。

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