もし自分に子供がいたら?(その2)
わしら夫婦は子供を持たなかったが、「もし子供を産んでいたら、自分たちの人生はどのように変わっていただろうか」ということを、想像してみるきっかけについて、前回に述べた。(前回はこちら)
で、どう変わっていただろう、という話であるが・・・。
難しいことはさておいて、まず頭に浮かぶのは、おそらくわしは子供に甘い父親だったのではないか、ということがある。
わしには兄がふたりいるが、そのひとり(故人)がわしと瓜二つだった。
趣味・関心・好みは言うに及ばず、とにかく性格がよく似ていた。細かいことにうるさくて短気なところまで・・・。
そういう兄貴を客観的に見ていると、遺伝子というのはやはりあるなあ~と思わせられた。染色体の上に乗って親から乗り込んでくる、あのDNAがらみの奴は間違いなくいる・・・。
くだんの兄には子供がふたりいた。そして彼は子供にすごく甘かったのである。誰が見ても頭にバカが付きそうなくらい子煩悩だった。
だが子供への愛情が強すぎるあまり、うるさく言いすぎて子供に嫌われた。本人自身もときに(酒を飲んでいるときが多かったが)ニガ笑いぎみに反省していた。
しかしその反省が自戒となって、現実が改善されるまでには至らなかった。
まあわしも、もし子供がいたら同じような親になっていたと思う。子供には陰で嫌われていたにちがいない。あんまりうれしくはない。
カミさんも、自分の父親に言葉で苦しめられて育った過去があるので、愛ゆえとはいえ子供に口うるさいわしには、つよく反対したと思う。それがきっかけで喧嘩になることが多かったのではないか。これだって万歳できる話ではしない。
もうひとつ頭に浮かぶのは、子供に期待を懸けすぎる危険性があっただろうということだ。
わし自身が、若いころに抱いた夢を実現できなかったので、子供にその代償を求めた可能性が大いにあった。
子供にしてみれば、そんなことを勝手に期待されてもは迷惑千万だ。
だが30代40台のわしには、恥ずかしながらをその愚行をやっていた可能性が大いにある。
こうしてちょっと考えてみるだけでも、子供を産んでいてもあまり嬉しくないことが多い。
ただし、嬉しいか嬉しくないかは別にして、もし子供を産んでいたら確実に一つ、変わらずにおれなかったことがある。
それは職業である。より正確にいえば職種。
現実のわしは、深い理由もなく自分のやりたいことを優先して、収入を確実に期待できる職種を選ばなかった。
それで苦労したのは自分のせいだからいいとしても、もし子供がいたら、そんな自分勝手は許されなかっただろう。
・・・であれば、わしの人生の内実は確実に変わっていた。大きく変わらずにいなかった。
どんな風に変わっていたか興味をそそられるが、それは実際に選んだ職種や、その職種が作る環境によって千差万別だろう。が、とにかく、水の中に飛び込むか火の中に飛び込むかの違いくらい、現実と大きく変わっていたことはまちがいない。
そういうことを考えると、人生って凄く奥深く複雑なもののようにも思えるし、逆になんだか単純で子供のオモチャみたいなもののようにも思える。
ま、不思議なものだ。
「もしわしらに子供がいたら人生はどのように変わっていただろうか」ということを今回ちょっとヒマつぶしに想像してみたが、ごくごく平凡な変化しか想像できなかった。風邪をひいたら鼻水が出てきたというくらいの、なんの変哲もないありふれたものしか考えられなかった。
まあそもそも、それくらいのモノしか与えられていな人生だったのだろう。
ご苦労さん。・・・とでも言っておくか。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。