老後は、下の方こそいとおしい?
少し前の朝日新聞のコラムに、次のような話が載っていました。
「老後は下の方こそいとおしい」と作家の阿刀田高氏が書いている。
と聞いて下方を見ないこと。(文意は)昔の小学校の『通信簿』のことだ。上の方に並ぶのは国語、算数、理科、社会。下の方に図工、音楽、体育。親は上方の成績ばかり気にかけたが、老いて思うのは、絵が描けたら、ピアノを弾けたら、山を歩けたらといったことばかり。自分はどれもだめだと作家は言う。『年老いて人生への悔いがないでもない』と。『90歳、男のひとり暮らし』から。」
なるほど、その通りだな、と私(半ボケじじィ)も思いました。
私も還暦を過ぎたあたりから、自分も何か楽器が弾けたらどんなにステキだろうなァ、としばしば思ったものでした。
それもギーコギーコとノコギリを引くバイオリンのレベルではなく、ある程度人を楽しませられる程度に何かの楽器が扱えて、同レベルの仲間たちと小さなライブで合奏ができたらどれほど老後が楽しく豊かになっていただろうと・・・。
最近の子供たちは、たいていは何かの楽器が扱えるようです。また昨今の小・中学校の音楽室には、さまざまな楽器がずらりと装備されているのをテレビで見たことがあります。
私が通った小学校の音楽室には、(終戦直後だったので)古びたオルガンが一台置いてあるきりでした。そのオルガンだって、鍵盤のひとつが壊れて音が出ませんでした。そういう環境で育った私の世代の人間は、例外はありますが、総じてまともに楽器が扱えません。
ところで実は、今回私が書きたかったのは楽器の話ではありません。
ちょっと冒頭の2行目、3行目を見直してみてください。
「老後は下の方こそいとおしい」と作家の阿刀田高氏が書いている。
と聞いて下方を見ないこと。
実を言いますと私は、1行目を読んだときつい “下の方” のことかと思ったのです。
正月早々下ネタじみた話になって申し訳ありませんが、私には常日頃からフシギに思っていることがあります。いい機会ですのでそのことについてちょっと触れてみたいと思います。
私は90歳に近づいているソートーにいい年の老人です。にもかかわらず正直に申しますと、未だに “性” への欲求が完全になくなっていません。ある一定の間隔をおいて、若いころにあった異性への性的欲望じみたモノが、微弱ではあっても体のどこかでムズムズして困惑することがあります。「ナンダローこれは・・・」と考えてしまいます。
性欲は生殖本能につながっており、繁殖による種の保存を目的として、すべての生きものに備わっているものでしょう。
・・・であるにもかかわらず、生殖機能が不能になった高齢老人までなお性欲は完全に消失せず、微弱とはいえしぶとく残って蠢くというのは一体どういうことなのだろう・・・とフシギに思うのです。
自分は異常体質なのだろうか・・・と思うこともありますが、例の大岡越前守の母親の話(女の性欲はいつまであるのかと越前が母親にたずねたところ、母親は黙って火鉢の灰をかき回した・・・灰になるまであります、と答えたという逸話)もよく知られていることですし、いったい本当のところはどうなのだろうと思うのです。
突然の衆議院解散で大騒ぎの世の大勢になんの影響もないどうでもよいコトですけれど、私はときどき何か落ち着かない気持になります。
どなたか情報をお持ちの方がいれば教えていただければ幸いです。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
