“不純異性交遊” と “ヒヒ爺ィ”

ヒヒ爺

 2,3日前にも目にしたが、未成年の男女が性がらみの記事で新聞や雑誌に取り上げられると、たいてい “不純異性交遊” ということになる。
 事件性がまったくなくても、あるいは純粋に好き合って合意の上で行われても、”不純” と言われる。

 なぜそういう言い方をされるようになったのかを調べてみると、およそ次のような事情らしい。
 肉体的には生殖行為(セックス)が可能な身体になっても、心(精神)が未熟であるがゆえに、現代社会ではいろいろな問題を発生する可能性がある。
 たとえば妊娠した場合責任がとれない、子供が生まれても育児能力がない、あるいは性病の感染に無知・・・など。
 これらのマイナス事情がからみやすいから「不純異性交遊」と言うらしい。
 個々のケースを見てみれば様々な実態があるにもかかわらず、単純に “不純” でひとくくりにする。
 要するに実情をないがしろにしたレッテル貼りだ。

 未成年の話じゃろ、わしら老人には関係ないわィ、なんて思っとったら甘いぞ。老人だって貼られる。たとえば “ヒヒ爺ィ”。
 老年の男が性がらみの場面でマスコミに取り上げられると、すぐ “ヒヒ爺ィ” にされる。

 「ヒヒ(狒々)」は日本に伝わる伝統的な妖怪だ。サルを大型化したような姿をしていて色好みだとされる。
 そこから、性に関連する場面で高齢男性がひっかかると、そこにどんな事情があろうとひとくくりにして、好色でいけすかない老人 “ヒヒ爺ィ” 呼ばわりされる。

 それでいて一方、日本では老人というと、すぐに「枯れた」という形容詞をくっつけたがる。老人であれば誰でも彼でも枯らしたいらしい。
 たしかに干からびて色気ゼロの老人もいる。が、そんな老人ばかりではない。だいいち老いても食欲があるように、どんな老人にも健康なら、ていどの差はあっても性欲はある。死ぬまであるようだ(わしはまだ死んでいないので断言はしない)。若いときほど大食いでないのは確かだけどね。

 何ヵ月か前に、NHKが看板番組「クローズアップ現代+」で取り上げていたが、年をとってもなかなか消滅しない性欲のために、悩んでいる男性老人は少なくないという(老齢女性のことは私には分かりません)。

 つまり、性にかかわる場面にたまたま高齢の男性が居合わせたとしても、たまたまイタリアンレストランのテーブルに老人が座ったのと同じだ。奇々怪々ベラボーな妖怪が、イタメシを食いにやってきたわけじゃない。
 老人だってハラがすいたら、イタメシだろうがヒヤメシだろうが食べる。それは日常的な行為のひとつだ。

 にもかかわらず、老人が何か性的なできごとの場に関わると、飢えたサルが熟れた桃に飛びついたかのように、どれもこれもひとくくりにして「好色妖怪(ヒヒ)」あつかいする。

 性の問題に限らず、マスコミをはじめとして日本の社会は、個々の事情を無視してすぐにレッテルを貼りたがる。その方が楽だからだ。

 マスコミがそうだからだろう、日本の一般国民も何かというと総じてレッテル貼りが好きだ。舌だして、ペロリとなめて、ペタンと貼って、〇〇箱にポイ。
 後はマスメディアが(最近ではSNSが)ニッポン全国に運んでくれる。楽チンだ。

 しかし、十把ひとからげにせず個々の状況にきちんと向き合おうとしない社会は、底が浅くなる。信頼できない。
 日本がそういう社会であることは、日本人のひとりとして情けない。

 ・・・なんてエラそうに書いておいて何だけど、実は私もレッテル貼り、やります。
 楽だもん。ヒッヒッヒ。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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