家の前を掃く男

家の前を掃く男

 わしが子供のころ、家の前の掃除をするのは、女のひとだった。

 たとえば、立派な生垣をめぐらした金持ちの家があるとする。その家の前をほうきで掃くのは女中さんだった。女中さんというのは、住み込みで家の下働きをする女性だ。今でいう家政婦さんの前身。

 そういう女性を雇うことができない一般家庭では、家のまえを掃くのはふつうその家の主婦だった。でなければ元主婦・・・主婦の座を嫁にうばわれたお婆さん。まちがっても男が家のまえで竹ぼうきを使うことはなかった。

 ところが今は違う。ぜんぶとは言わないが、家の前を掃くのは多く男だ。それもほとんどが定年退職した男。

 彼らは仕事が急になくなって一日家にいることになったが、やることがない。声を失ったカナリヤみたいに退屈だ。
 そのうえ、家のなかにいるのは何となく重っくるしい。原因は女房の出すオーラだ。
「あんた、何もすることがないの? 朝から晩まで家のなかでごろごろされてたら、うっとうしくてやりきれないよ!」
 と、口に出しては言わないけれど、そう思っているのが横顔や背中で出ている。したての犬のフンから上がる湯気みたいに・・・。

 それで・・・なんとなく家の中にいづらい。いすに凭れてただじっとテレビを見ているのは、どうも居心地がわるい。
 で、なにかに操られたみたいにひょいと立ち上がって、居間からつっかけを引っかけて庭におりてみるが、猫の額に寄ったシワみたいな庭じゃ、3分も見たら見るところがなくなっちまう。

 そこでふと思いついた者がいて、家の前のそうじを始めた。
 最初に始めたひとは多少抵抗があったかもしれない。男が家の前でホーキとチリトリをもって落ち葉をかき集めるなんて・・・という気がしたにちがいない。メンツに小さな傷がついたかも。
 気のちいさい男など、「ぬれ落ち葉になるまえに取り除いてるのね」なんて近所の奥さんに思われやしないかと、勝手に取りこし苦労したかもしれない。

 しかし今は、そんなことで気を病む男はいないだろう。なぜなら今はあっちでもこっちでも、同類男たちが同じことをしているからだ。社会に認知された「定年退職後の男の仕事」とまでいかなくても、ま、それに近い存在になっている。

 それにしても、家のまえを掃く女性がかくも急速に姿を消したことは、わしには予想外だった。

 なぜこんなに急に消えたのだろう・・・と考えてみた。
 もちろん理由はひとつではなく複数あるだろう。が、わしの頭に浮かんだある一つのことを書いて見る。

 いきなり話は飛ぶが、人類の歴史は数百万年と言われる。
 その、気の遠くなるような時間の99パーセントのあいだ、男は狩りをするのが仕事だった。
 で、そのうち、近隣の男たちと獲物の取りあいが始まる。
 だがこの争いは双方にとって不毛だ。百害あって一利なし。

 そこで縄張りという考えが生みだされた。それぞれが自分の守備範囲を持ち、お互いそれを認めて、相手の領域は侵さない・・・という暗黙の、しかし絶対の了解がうまれた。
 縄張り意識は男にとって、最も重要かつセンシティブな問題となった。

 で、だ。話は現代の定年退職後の男たちに戻る。
 彼らの尾てい骨のどこかに、この縄張り意識が残っているとわしは見る。
 彼らはかろうじて定年退職後の居場所を見つけた。
 家のまえを掃くというささやかな仕事だが、彼らにとってはひとつの救いだ。1日に1回1時間くらい家のまえの掃除をするだけでも、そのあとの時間がなんとなく気楽にすごせる。

 となると手離したくない。縄張り意識がうごき出す。
 女はこれ幸いとそれを利用した。女はメンツなどというくだらないものはどうでもいい。何であれ少しでも家事労働が減るのであれば歓迎だ。

 このあたありの事情は、じつは定年後の男の過ごし方にかぎる話ではない。いきなり大きく出るが、国と国の争い、つまり戦争も同じモノを内包しているとわしは思う。
 世界史をふり返ってみると分かるように、戦争の原因には多かれ少なかれ領土問題が絡んでいる。つまり縄張り争いだ。

 いまでも中東や中国・ロシアの国境線付近では、なにかの弾みで小競り合いが始まり、やがて・・・なんてことになる危険性を常にふくんでいる。
 いや日本だって尖閣、竹島、北方領土で同じようなコトをやっている。
 縄張り意識にこだわらないで、あらゆる要素を冷静さと客観に徹して総合的に考えれば、現実的により賢明な問題解決の道があるかもしれないのに・・・。
 
 世界の政治の主導権をもしすべて女性の手に渡せば、この世からかなりの数の戦争が減るのではないだろうか。
 ・・・という気が、半ボケのわしにはするが、どうだろう。

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