老人と犬
言いたくないが、わしの年齢(85歳)になると、あるがままに放っておくとすぐに老いさらばえる。寝たきりになる。
そうなりたくなければ、それなりに努力しなければならない。
ま、抵抗する。
運動するとか、食事(栄養)に気を使うとか、クヨクヨしないとか・・・ネ。
ベッドの上でただ息をしてるだけ・・・なんてのは死んでもイヤだから、わしも一応それなりに抵抗して、努力をしている。
その一つがゲンソク毎日の “スーパー通い” である。( “パチンコ通い” じゃないよヨ)
とあるスーパーまで歩いて行って、できるだけお買い得の食材を探して、リュックにしょって、歩いて帰ってくる。
レジ台の前では、できるだけモタモタしないよう努力する。ポイントカードを出すのに手間取ったり、小銭を落としたりしないようにする。
路上では、うっかり段差につまずいたり、クルマに触ってセクハラだと言われないよう気をつける。
良いお天気だと、雲を見上げたり、他人の家の草花を覗き込んだりもする。
ほぼ1時間余から1時間半。その間ずっと歩いているわけだ。ま、そのていどの抵抗だけどね。
毎日だいたい同じ時間帯なので、行き帰りに出会う通行人たちも3分の1ほどは同じ顔ぶれになる。
そんな中のひとりに老人がいる。正確にいえば男性の老人と犬。
老人の方はかなりの年だ。まちがいなく90歳を何歳か越えていると思う。
歩き方もその年齢にふさわしい歩き方だ。
何日か前の新聞で、現在92歳の評論家の樋口恵子さんが、自分たちの年代を “ヨタヘロ期” と呼んでいた。
「ヨタヨタ」と「ヘロヘロ」というオノマトペを合体させて、ある年齢の老人のようすを表現してじつに的確、かつ強力な命名だと思うが、いま話題にしている老人の歩き方は、まさに “ヨタヘロ歩き” と呼ぶにふさわしい。
そういうヤバイ歩き方でありながら、彼は犬と連れだって毎日歩く。よほどのこと(大雨や風)でない限り休まない。
エライと思って、わしはひそかに尊敬している。
もっとも、より尊敬しているのは、実をいうと相棒の犬の方である。
飼い主ほどではないがやはり老犬である。犬にあまり詳しくないが、人間でいえばまあ60歳くらいだろうか。犬種は柴犬だと思う。
この犬が、カワイイというかじつにケナゲなのだ。
若い犬のように、相手のことを考えないで自分の行きたい方へグイグイリードを引っぱったり、足を踏んばって動くことを拒んだりしない。
老人の方をときどき見上げながら、彼の体の状態を確かめつつ、歩調を合わせて歩く。
さすがに疲れてくるのであろう、ときに老人がしんどそうだと、犬は自分から足を一時止める。で、老人は一休みする。
ひととき休んで老人がまた足を動かし始めると、犬も足並みを合わせて歩きだす。
そんな犬に、老人のほうから優しい声をかけて、ねぎらってやるといったことはしない。少なくともそういう光景を見たことはない。
そういえば老人の方からも犬の方からも、声そのものを出すところを見ない。そんな声かけ行為など必要がないほど、お互いがお互いのことを信頼し合っている感じだ。まるで2体で1体のように、いつも静かに、粛々と連れだって歩いている。
毎日の買い物で、このふたり(正確には1人と1匹)に出会うと、なにか胸の内がホッと温かくなる。
わしらの小さな楽しみのひとつになっている。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。