最も古い記憶はムンクの叫び
著名な小説家・三島由紀夫は、自伝的作品のなかで、「私は生まれた時の光景を憶えている」と明言して、“産湯の盥(たらい)のふちに射している日の光を見た” のが最初の記憶だと書いている。印象的なシーンである。
この例は小説家のものだから創作かもしれない。しかし科学者の書いたものなら、嘘はないだろう。日本最初のノーベル賞学者・湯川博士のばあいは、二つの記憶が思い出せるという。
一つは、「家の縁側で子守唄を聞いている」記憶。
もう一つは、「誰かに背負われて駅の階段を下りていく」記憶。
へえー、湯川博士のような偉い科学者でも、人生最古の記憶となるとわれわれ凡人と大して違わないんだな・・・と、ちょっとがっかりしたような、なんだか少し安心したような気持ちになった。
その安心した気持ちが作用したのだろうか、名もなく清く美しく・・・じゃなかった名もなく金なく運もない日本で最も平凡な男の最も古い記憶を、久し振りに意識のうえに引っぱりだしてみた。
わしにも、おそらくこれが自分の一番古い人生の記憶だというのがある。
さすがに産湯に浸かったときほどは遡れない。せいぜい3,4歳のころのことと思われる、生まれた町の神社の境内の光景だ。
わしが生まれたのは地方にある小さな城下町である。神社はその町の名を冠しており、境内も町同様こじんまりとしていた。
記憶のなかでは、その神社の境内が、一面アンバー系の照明を当てられた舞台のように染められている。
だから季節は秋だ。境内の落葉樹が黄や紅に色づき、そこへ秋の午後の光が差しこんで、まるで新派の舞台のような情景を作りだしたものと思われる。
その舞台の上に、わしと祖母と弟が立っている。
先ほど述べたようにわしは3,4歳。弟は乳飲み子で、70代の祖母の背中に背負われている。
何のためにその神社にいたかというと、はっきりとした理由がある。
神社の隣にやはり町の名を冠した小学校があって、母親がそこに勤めていたのである。
やがてその母親が舞台に登場する。弟の生年月日から計算するとまだ30代後半だろう。
教室の授業のあいまを縫って、弟に授乳させるために学校を抜けだしてきたのである。
母はベンチに座って、祖母の背からおろした弟を膝の上にのせ、胸元を開いて白い乳房を出す。弟はその乳房に口を押しつけて無心に乳をのむ。
それをわしは黙って見ている。何やら自分でも説明のつかない不思議な感情を胸のうちに揺らしながら。
授乳が終わると、母はすぐにまた境内から出ていく。
そのあいだ、この記憶のなかの登場人物たちは、ひと言もことばを交わさない。
背景は明るい秋色に彩られているのに、人物たちは終始無言。黒衣をまとったパントマイム芝居のように。
3,4歳といえばまだ母親が恋しい年頃だ。できるだけ母のそばにいて甘えたい。にもかかわらず、一日のほとんどを引き離されている。ほんの数分間会える時間があっても、どこか他人行儀な母親が無言で弟にだけ乳房を与え、終わるとすぐに去って行く。
当時、小学校は神社よりすこし低い場所にあった。神社の境内の端に立つと、樹間に校庭と校舎が見えた。
その校庭を母が横切って教室へ帰っていく。白っぽく広い校庭にぽつんと母の姿が見えて、それがだんだん小さくなっていく。そのまま消えてしまい、もう永遠に帰ってこないかのように。
それを3,4歳のわしはじっと見ている。
この記憶を思い出すとなぜかいつも切なくもの悲しい感情がともなうのは、一つはそのせい(母との永遠の別れの感覚)があるのかもしれない。
どこに関係があるのかわしにもまるで分からないのだが、このわが人生最古の記憶を思い出すと、なぜかムンクの絵『叫び』がいっしょに頭に浮かぶ。
”ムンクの叫び” はちょっと叫び過ぎだけど、ともあれこれがわしの人生における最も古い記憶である。
私の最も古い記憶は、庭で幼い私が泣いている。母が家の中から、私が泣きながら立っている庭に向かってほうきで掃き掃除をしながら「びーびー泣きな!」と怒鳴っている。
良い事は記憶に残りにくいのかしら・・・
むらさきさんとしてはちょっと切ない最古の記憶でしょうねえ。
お母さん、なにか嫌なことでもあって、虫の居所が悪かったのかな?