はめられたら地獄・人間の罠
この6月1日から、日本でも「司法取引制度」がスタートした。
アメリカ映画でちょくちょく見る。捕まえた犯人を警察や検察がが取り調べるときに、共犯者の名前を教えたら罪を軽くしてやるとか、主犯者を逮捕できる証拠をくれたらお前は起訴しないとかといって、容疑者と取引きするシーン。アメリカでは事件の90~95%で行われているという。
そういうのを見て、へー、さすがプラグマチックの国アメリカの警察って、えらく現実的なことをやるんだなァ、と半ば感心し、半ばうろん臭くも感じたものだった。
それとほぼ同じことを、日本でもやるらしい。
日本もようやくアメリカ並みに “進んだ” と思っていいのだろうか。
ものごとには何でもプラスとマイナスがあるから、この司法制度にもメリットとデメリットがあるのだろうけど、その方面の知識もないし、警察さんや検察氏とはできるだけ仲良くしたくないと思っているわしには、この制度の良し悪しをウンヌンする資格はない。なくても不服はないけどね。
だが、この制度が日本でも行われることをニュースで知って、思い出したことがある。
もう10年近く前になるだろうか。現役の厚労省の女性局長(村木厚子さん)が、公文書偽造かなんかの容疑で突然逮捕された事件があった。
村木さんが企画課長だったときに、特定の人間の便宜をはかるために、課員が架空の団体へ偽の証明書を発行したのだが、それは村木課長の指示によるもので、企画課ぐるみの犯罪であるとされ、検察が動いたのだ。
しかしそれは実は大阪地検特捜部の捏造だった。いわゆる見込み捜査を行ったのである。
なぜそのような事実に反するストーリーを大阪地検がでっち上げたかというと、現役の、しかもやり手と言われる女性局長が机の下でひそかに汚していた手に手錠をかければ、わいらだってちゃんと仕事をしとるでぇと、世間に派手に(効果的に)アピールできるからである。おそらくマスコミはこぞって、「厚労省の組織的犯罪」などと騒ぎ立てるにちがいないからだ。
しかも、いったん狙いをさだめて手をつけたら、絶対にミソをつけることは許されなかった。なぜなら、日本の検察が起訴する事件の99.9%は有罪になる、という神話があって、この神話を踏み外したらアピールになるどころか、尻っぺたを蹴っ飛ばされてドロ水に顔を突っこむことになるからだ。
そういう背景があるからだろう、村木さんが後に著した『私は負けない』(中央公論新社刊)という本を読むと、たとえ中央官庁のエリート役人であっても、いったんこうした検察の罠にはまったら、ちょっとやそっとでは抜け出せないことが身にしみて分かる。
彼女の場合は、半年に近い勾留とその間の激しい検察側攻め立てに耐え抜く強靭な精神力を持っていたこと、そして同じく官僚だった夫をはじめとする友人たちの強力なバックアップがあったことで、なんとか検察の攻撃に耐え抜くことができた。
だがそれでも実は危なかったのである。積み上げるとA4紙で70~80cmくらいになる検察側の証拠書類の中に、検察の捏造を明確にしめす証拠をたまたま発見したという奇跡がなかったなら、結局、検察の罠に落ちる以外になかったという。
村木厚子さんは言っている。
いちばん恐ろしくて震えが止まらなかったのは、かつていっしょに仕事をした部下や同僚たちが、検察の取り調べを受けて、私の関与を認める調書にサインをしていること知ったときだ、と。
存在しない架空の団体の関係者に村木さんが直接会ったとか、証明書の偽造を指示したとかといった供述を、彼らは検察にしているのである。絶対にありえないことなのに、検事にそう述べた人が何人もいたのだ。
彼女はショックだった。極度の人間不信におちいり、何を信じていいか分からなかった。
もちろん検察は、自分たちの見立て(見込み)は間違いだったと途中から気づいていた。
しかし先に述べたような事情でもはや引き返せなかった。あくまで自分たちのストーリーを押し通して進む以外になかった。そこで被疑者や参考人から、あくまでそのストーリーに沿った自白や証言を引き出そうとした。
しかしもちろん事実ではないから、検察の思う通りにはならない。そこであらゆる手段を使って被疑者や参考人を心理的に追い詰め、虚偽の内容の調書を取っていく。
彼らの常套手段は、参考人たち個々人の小さな弱みを探し出してきて、バーゲニング(交渉)を始めるのである。
人間は弱い。小さなスネのキズでも、そこを権力の紙ヤスリでこすられると、簡単にウソの調書にサインしてしまうという。
取調室という拘束された密室の環境では、常識では考えられないことが簡単に起きてしまう。
それを知ったとき、わしは血の気が引いた。
エリート高級官僚でさえそうなのだ。もし何かの理由で、もしくはほんの偶然で、無官で無冠のわしら庶民に彼らの罠がかけられたら・・・と思ったら、正直わしはしょんべんチビリそうになった。(ごめん下品で。「恐怖で足が震えた」と言い換えます。)
いやぁ~、恐ろしい。人間って、ほんとに恐ろしい。
世の中、ジシン・カミナリなど恐ろしいものはいろいろあるけれど、いちばん恐ろしいのはやっぱり人間だわィ、とつくづく思う。
そこで、今月1日から施行された「司法取引制度」だが、なんとなくイヤな予感を覚えるのはわしだけだろうか。
上に見たような日本の検察が、被疑者との “取引き” を法律で正式に認められたとなると、これまで一応ひそかにやってきたバーゲニングを大っぴらにやれるようになるわけだ。
ますますこうした見立て捜査が行われて、冤罪をつぎつぎと生み出す土壌をつくらないだろうか。
考え過ぎだよ。少なくともお前さんが心配するこたァない。棺桶ン中に片足を突っ込んでる爺さんなんか、検察だって相手にせん。金と時間のムダだから。・・・って言いたいんだろ?
いや~分からんぞ。たまたま近所の女の子が行方不明になって、たまたま近くの防犯カメラに、たまたま同時刻にジョギングしている怪しげな爺さんの姿が映っていたら・・・。
ああ、やだやだ。…ったくやな世の中になっちまったもんだ。
このまま終わると後味がよくないので、最後にもうひとつ付け加える。
村木厚子さんは若いときから本好きで、164日も独居房に入れられていた間、時間があるとひたすら本を読んだそうだ。読みたくて買ったのに積読状態だった本を、端から片付けていったという。そして、心にひびいた言葉をノートに書き留めた。
その中のひとつに、こんなのがあった。
「あなたが何をしてたって、あるいはあなたになんの罪もなくたって、生きていれば多くのことが降りかかってくるわ。・・・だけど、それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めることよ」(サラ・バレツキー『サマータイム・ブルース』)
〔当記事は、木村厚子著『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社刊)を参考にしました。→ https://amzn.to/2EgEYan〕
村木厚子さんは長男と三男のの高校の先輩ですよ。
心を痛くしてニュースを見たものです。
無くなった父がいつも言っていました。
「いちばん怖いのは、生きている人間だ」と。
日本の警察の検挙率の高さに、そんな恐ろしい事が含まれているとは・・・
明日は我が身?
人生、死ぬまでわからんてか???
怖すぎる!
ふしぎな繋がりですね。ご子息が村木さんの後輩だなんて。
人間の世界って、ふしぎで、奇妙で、怖くて、辛くて、苦しくて
やってられないときもあるけど、反面面白くて、たまには
楽しいときもあって、訳分かんなくて、
いろいろあってもやっぱりやめられんとこありますよね。
人間を・・・。