祖母 -わしのおばあちゃんは西郷隆盛が生きてる頃に生まれた-

私の祖母

 わしの祖母は明治5年生まれである。

 明治5年生まれって、なんか凄くない?
 明治維新の真っ最中だよ。ペリーの黒船が浦賀沖にやって来た(1953年)のだって、わずか20年ほど前だし、西郷隆盛が西南戦争を起こしたのは、この5年後だぞ。ほとんど歴史上の人物だ、わしのおばあちゃん。

 で、わしはこの歴史上の人物に育てられた。母親が小学校の教師をやっていて、日曜以外は家にいなかったから、おばあちゃんが母親がわりだったの。

 いま書きながら改めて思ったよ。西郷隆盛がまだ生きている頃に生まれた女性に育てられたなんて、わしもソートー古い人間だなァって。
 歴史上の人物とまでいかなくても準歴史上の人物・・・・アホ、おまえはまだ生きとるんだ、半ボケとはいえ、な。

 そうでした。忘れるとこでした。
 現実に戻ろう。わしだって、生まれたときから半ボケだったわけじゃない。生まれたときは玉のように可愛いかった(…と歴史文書に書き残されているわけじゃないよ、わしがいま勝手にそう書いただけ)わしを、育ててくれた祖母のことを今回はちょこっと書いてみようと思う。

 わしの祖母は三重県の伊賀上野に生まれた。わが家の先祖伝来の地は兵庫県北部の但馬だったから、ずいぶんと離れている。いまみたいに交通の発達していない時代だったのに、どうしてこんな遠いところへお嫁にきたのって、後年訊いたことがある。

 おばあちゃんの亭主、つまりわしの祖父はいわゆる馬喰ばくろう(牛馬の売買・仲介を業とする人)だった。で、仕事で伊賀にきていた祖父と、祖母はたまたま出会って恋に落ちたってわけだ。
 江戸時代 伊賀上野を統治ていたのは伊勢津藩だが、その高級藩士の家柄だった祖母の親が許すわけがない。馬喰ふぜいに由緒あるわが家の娘を・・・ってわけだな。よくあるやつだ。で、大反対の嵐のなか祖母は家を飛び出して駆け落ちしたんだな、要するに。
 たしかに古い写真に残っている若いころの祖父は、キリッとした相当にいい男だ。今も昔も女はイケメンに弱いんだよなァ~。(余談だけど、この祖父のDNAがわずかでもわしにも流れていたらなァ・・・と思わんでもないが、それはそもそも叶わん夢だったことは後になれば分かる)

 祖母が高級武士の娘だった名残りは、わしが知っている老年のおばあちゃんの中にも窺えた。
 芭蕉の出身地に生まれただけあって、俳句は大得意。あと和歌と書道もたしなんだ。
 ・・・だけではない。結婚後、遊び人の夫が家計を傾けたとき、祖母が働いて一家を支えたのである。当時の女性には珍しく娘のころ身につけた学問を生かしたのだ。明治32年に新しくできた制度に応じて試験を受け、助産婦の資格を取り(当初全兵庫県に2人しかいなかったという)、人力車に乗って兵庫県北部を日夜走り回った。娘(つまりわしの母親)に婿をとって家計が安定するまでやめなかった。

 色男 金と力はなかりけり、というが、どうもいい男というのは、周辺の女に苦労をかけるようだ。その点、わが女房は幸せだ。分かっとるかなァ?
 えッ? いい男じゃないくせに金も力もないのもいるって? う~ん・・・。

 話を変えよう。
 わしが物心ついたころ祖母は70歳前後だった。いま風にいうと “アラセブンティ”。つまりわしは70歳前後の祖母に育てられたことになる。
 どういう育てられ方をしたのかは分からないが、わしの前に兄や姉3人も育てているので、その経験が生かされただろうから、まあそんなにひどいもんじゃなかったろうと思う。

 具体的なことでわしがよく憶えているのは、教育とは関係のない、たわいのない光景だ。
 当時、田舎では男の子はみんな丸刈りだった。(坊ちゃん刈りと称して髪を長く伸ばすようになったのはだいぶ後だ)。おばあちゃんは何かというと、丸坊主のわしの頭をシワだらけの手で撫でまわしながら、「形のええ頭じゃのう。おまえはきっと賢い子になって出世するぞ」と言っていたのを思い出す。ババ馬鹿のひいき予言などいかに当たらないか・・・という証拠物件みたいな記憶だ。

 そのほかではっきりと記憶に残っているのは、臭いである。いまでいう加齢臭だな。
 何かというとぐっと抱きしめてくれるのはいいのだけれど、その度にヘンな臭いがする。子供心にもクサいと口にしてはいけないことが分かるので、我慢したが正直イヤだった。こうして書いていると、当時の臭いが鼻の奥につい数日前のことのようによみがえる。

 またときどき、胸の懐の中からチリ紙に包んだ裸のアメ玉を取りだして、手でつまんで口のなかに入れてくれた。これも正直うれしくなかった。懐で暖められていてへんに生温かいし、アメ玉の甘さより、例の老臭が先に鼻にくるようでイヤだった。

 しかし一番イヤだったのは、次のようなことをされたときだ。
 手の親指に唾をたっぷりつけて、それで眉を撫でられたことである。

 当時は戦争中で、男の子はとにかく強く勇ましいのが一番だった。眉も明治天皇の肖像写真のような、太く濃く眉尻がピンと跳ね上がったものがカッコ良かった。少なくとも明治初年生まれの祖母がそう思っていたのは間違いない。

 ところがわしの眉は今でもそうだが、幼児のころからすでに八の字形の下がり眉だった。それが祖母には気に食わなかったらしい。機会さえればわしを目の前に引きすえ、垂れそうなくらい唾をつけた親指で眉をなであげた。逆八の字になるように目尻を上へ持ち上げながら。

 乾くとき風にあたってひんやりするし、皮ふがつっぱるし、唾のにおいもした。なんとか逃げたかったが、おばあちゃんの愛情ゆえだとは分かるので、けんめいに我慢した。

 祖母でもう一つ忘れられないのは、助産婦のときの驚くべき経験談だ。
 毎日のようにあちこちで赤ん坊を取り上げていると、数年に一度くらい、ちょっと信じられないような子供を産み落とす女がいたという。
 たとえば、まるで蛇がとぐろを巻いたような頭をした赤ん坊とか、よくあるのは犬だか人間だか分からないような嬰児とか・・・。そういう子はほとんど死んで産まれるが、出産直後は息があってもすぐに死んだという。

 実際の話なのか、子供を喜ばせるための作り話だったのか分からない。だが、今こうして書いていると、その話をしたときの祖母の様子がよみがえるが、思い出すだけでも体が震えるといった感じの話し方で、ウソの話をしているようには思えない。
 そういう化け物のような嬰児を取り上げると、帰りはそのことで頭がいっぱいになり、ぼーっなって思考能力を失い、気分が悪くなったりもしたが、ある日の帰途、開通した山陰本線の踏切りで人力車を止められ、目の前を通過する鉄の車の轟音でわれに返ったら、頭の中から恐ろしい光景はすっかり消えていた・・・などという、作り話には不要な細かさがあったりもした。

 こういう怪しい系もふくめて、祖母は万に近い子供を取り上げたのだが、彼女自身はひとりも子供を産まなかった。
 一度妊娠したけれど、ひとの出産のために人力車で走りまわり、田舎のでこぼこ道でゆられたために流産して、それ以後産めない体になったという話だった。
 戸籍に長女として記されている娘(わしの母親)は、じつは祖母の弟が女に産ませた子である。
 弟の不始末の尻拭いのためではあったものの、祖母夫婦に子供がいなかったので、実子として籍に入れたということだった。

 高級武士の娘に生まれながら、何の因果か馬喰と恋に落ちて駆け落ちし、しかもその夫が道楽持ちで傾いた家計を支えるため助産婦になり、何千人もの子供の誕生に立ち会って、そのために自身は子供を産めない体となった。そして弟の不行跡の後始末をすることで娘を得た。
 だがその娘との仲は、わしが知るのは晩年だけのことだけど、あまり良い関係ではなかったように思う。娘の方の口ぶりでは、母娘の仲が良くないのは子供の頃からずーっとだったらしい。
 そして、その娘が産んだ5人の孫を、晩年になって自分の手で育てあげた。

 杉村春子の当たり役で有名な『女の一生』(森本薫・作)という芝居がある。
 つぎからつぎへとやってくる辛い目や苦しい思いと向かいあいながら、けんめいに生き抜くひとりの女の話であるが、わしの祖母のケースも、もう一つの「女の一生」だったと言えるように思う。
 この芝居に有名なセリフがある。

「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの・・・」

 わしのおばあちゃんも、人生の途上でなんども同じようなことばを自分に言い聞かせていたのではないかと思う。
 いや人間はだれでも、結局、自分にそう言い聞かせながら生きていく以外にないのだろう。
 ごくろうさんなことです、女も男も。

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祖母 -わしのおばあちゃんは西郷隆盛が生きてる頃に生まれた-” に対して 2 件のコメントがあります

  1. むらさき より:

    昔の人はホントに偉い。
    今の生活では想像もつかない苦労があったのだと想像しますよ。
    その時代に、教師という職業を持っていたお母様も立派な方だと、尊敬します。
    そのお母様に代わって立派にお孫さんを育て上げたおばあ様には感謝します♪
    だって、いまここで、私、凄く尊敬できる半ボケじじいに出会えましたもん♪
    ・・・って、「半ボケじじい」ってネーミングがこの文章に合わんじゃん!!!

    1. Hanboke-jiji より:

      きょうのむらさきさんのコメントは、頬っかむりしてコソコソ逃げたい感じ。
      文章はバケモノだから本体を隠すよ。実物見るとそっちも逃げたくなるかも・・・・。

      わしは昔と今の中間に生まれたから、両方が少しずつわかるけど、
      まあ、今の人間に比べれば、昔の人間のほうが厳しい世の中で育ったから、
      キタエられたと思うな。
      わしのおばあちゃんなんかもそのひとりかもしれん。

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