必殺ワザ、今や百発百中 -人間は進歩する-

ゴキブリ戦争

 誰にも一つや二つ嫌いなものはある。
 ムシが好かない、ウマが合わない、同じ空気を吸いたくない・・・などといったレベルの “嫌い話” ではないよ。
 見ただけで震えあがるというか、血の気を失うというか。
 
 わしの女房も、そういう天敵をひとつ、所持している。
 特に若いころは、その天敵への反応がカゲキだった。

 結婚して1年ほどした頃だったろうか。
 あるとき浴室からとつぜん金切り声があがった。ふつうの悲鳴ではない。この世の終わりを告げるかのような絶叫に近かった。
 そのときわしは居間でテレビを見ていたのだが、飛び上がって風呂場へ突進した。突進しながら膝が震えた。いったい何ごとが起きたのかと。

 浴室の戸をあけると、女房は、裸のまま浴槽と反対側のタイル壁に背中を押しつけ、アワアワと声にならない声を発しながら、震える手でバスタブの方を指していた。
 その様子はほぼ半狂乱状態。バスタブの湯のなかを、ネッシーが首を出して泳いでいるのかとわしは疑った。
 
 恐る恐る浴槽に近づいて中をのぞいた。
 浴槽のなかにはお湯が半分ほど入っており、その湯面から数センチほど上に、アブラゼミに近い一匹の大きなゴキブリが張りついていた。

 最初はじっとしていたが、わしが近づくといきなり動きだし,浴槽の外へ移動した。
 女房は悲鳴をあげて脱衣場へ飛び出し、わしは濡れたボディタオルを打ちつけてゴキに向かった。ヤツは驚くほどの俊敏さでタオルをかわしながら、浴室の壁や床をもの凄いスピードで走り回ったあげく、窓のほそい隙間から外へ逃げた。
 
 この “浴室の戦い” 以来、女房の天敵への恐怖と憎悪はいや増した。誘因殺虫剤とか強力粘着シートを仕込んだ待ち伏せ小屋を要所々々に配置し、さらに、新開発ノズルを搭載した噴霧式殺虫缶も数ヶ所に置いて、いつ天敵が急襲してきても対応できるようにした。
 
 しかしそれらは大して効果を上げなかった。姿を現わす彼らの数はそれほど減ったようには思えなかった。予想しないときに予想しない所であいも変わらぬ女房の悲鳴があがり、行ってみると彼女は体を硬直させて棒立ちになっていた。用意してあった噴霧式機関銃も手近になかったり、手に取る心理的余裕がなかったりして、あまり役に立たなかった。
 
 もっとも、そういう経験を重ねるうちに女房は少しずつ進歩した。
 しだいに噴霧兵器を手に立ち向かうようになった。それも最初のうちは、撃った弾(薬剤)がターゲットから遠く離れたところにしか飛ばなかったが、しだいに標的に近づくようになり、みごとに的中させて戦果をあげる回数がふえた。余談だが、そうして床に転がった死骸を処置するのはわしの役目である。

 さらに台所で食事の準備中に、ゲリラ的に出現する敵兵に遭遇するときは、すぐ手近にある中性洗剤を噴霧殺虫剤がわりに使うことも覚えた。けっこう効き目があり、これもよく活用するようになった。
 
 しかし、彼らを完全に追い払うことはできなかった。活動期になると臆面もなく姿を現わしたのである。毎年あい変わらず・・・。

 だがそれに対応する女房は、年を経るにつれ変わった。白兵戦をやるまでになったのである。 
 70年余も平和がつづいたから、若いひとには「白兵戦」といっても何のことか分からないかもしれない。「白兵」とは「抜き身の刀や槍」のことを言い、白兵戦とは、弓や銃などの飛び道具ではなく、白兵・・・つまり刀や槍を手に敵味方入り乱れて戦う肉弾戦のことだ。

 わが女房が使う白兵は「ハエたたき」だ。
 100円ショップで買ってきたプラスチック製の何本かを、敵が出現する頻度の高い場所にあらかじめ用意しておく。
 そして、いざ現われるや瞬時にそれを手にし、相手に立ち向かうのである。
 「撃ちてしやまん」の勢いで戦いを挑むわが軍(…といっても女房ひとりだが)。
 殺気を感じて逃げまどう、黒褐色の甲冑で身をかためた敵。

 こうして激戦のつわ者に成長した女房も、ときに「窮鼠猫を噛む」ならぬ「窮虫飛翔して刃向かう」と言いたい場面もあり、さすがにそんなときはやはり悲鳴をあげてパニックになる。
 ・・・といった戦場絵巻がくり広げられたのである。

 女房の戦意の底には烈しい憎悪があり、さらにその下には理由も根拠もはっきりしない恐怖がある。
 敗走する敵兵にあるのはおそらく単なる防衛本能だろう。
 
 最初のうち女房が撃ちつけるハエたたきは、噴霧器のとき同様に的を外すことが多かった。
 しかしここでも経験がモノを言った。しだいに敵中率を上げ、今ではほぼ百発百中といっていいまでになった。
 まず逃げ口のない所へ敵を追いこむ。そして、逃げまどう相手から数センチ先をねらって撃つ。それがコツらしい。
 よくぞここまで成長したものよ・・・とわしは感心することしきりだ。
 
 しかし考えてみれば、”浴室の戦い” から40年ほど経っている。ケミした時間の長さを考えれば、別に驚くにあたらないともいえる。
 ただ、飛び道具を使わずに白兵戦を行えるようになったのは、姿を見ただけで卒倒しかけていた結婚当初のことを思うと、やはり感慨がないわけではない。

 人間は進歩する。もしくは皮が厚くなる。
 いやいやエライものだ。

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