元禄15年12月14日

忠臣蔵とゴーン

 316年前のきょう、江戸の町はごった煮の大鍋をひっくり返したような大騒ぎだった。
 元禄15年12月14日未明、赤穂浪士四十七名が、主君の仇を討たんと江戸本所は吉良上野介邸へ討入りしたからである。
 ・・・なんてもったいつけて言うことはないわナ。日本人ならだれでも知ってる話だからねぇ。

 それにしても、江戸っ子たちが大騒ぎしたのはまあ分からんでもない。
 戦国時代が終わり、平和な世の中になってほぼ百年。火事や飢饉・地震などいくつかの災害があったり、生類憐れみの令などという珍奇な法に振り回されたりはしたが、がいしてその頃の江戸人たちは、刺激のない日々が長くつづいて退屈していたからね。
 
 そこへ降ってわいたような仇討ち騒ぎだ。赤穂藩主・浅野内匠頭の家来たちが、主君の無念を晴らそうと徒党を組んで深夜カタキの屋敷に突入したというのだから、まあ当時の江戸っ子たちにとっては、しもやけの足を高下駄で踏まれた以上の刺激であったことは確かだろう。
 
 それにしても、300年余りも前のこのきわめて人間くさい復讐事件が、人間より機械(ITやAI)のほうが幅をきかそうとしている21世紀になっても忘れ去られずに、12月14日前後になるとあちこちのマスコミで取り上げられるというのは、ふしぎな現象だとわしは昔から思っていた。

 ところでこの事件は、一般的には武士の鑑とすべき義挙(正義のために起こす企てや行動)と言われ、それに参加した浪士たちにライトが当てられる。
 だがわしは、参加した人たちよりも参加しなかった藩士や、その家族たちのほうが気になる。
 討入りした人たちが世間でもてはやされればされるほど、四十七人の志士からもれた藩士やその家族の気持ちはどんなだったろうか・・・と思ってしまうのだ。
 たんに肩身が狭いというだけではなかっただろう。さまざまに錯綜する複雑なその気持ちは、余人には想像を超えるものがあるような気がしてならない。

 わしなど、彼らの胸の内を思うだけでも身が縮むようだ。あの事件が起きた時、もしわしが赤穂浪士だったら、おそらく討入りに参加しなかっただろうと思うからだ。
 おのれの命も惜しかっただろうが、なにより残された妻子の今後の生活のことなどを考えて、決起に参加することは避けたにちがいない。情けないけど・・・。

 そういう器の小さな人間は、おうおう人のうわさが気になる。確固とした自らの意思で生き方を選んだ結果、参加しなかったのならいい。他人が陰でコソコソ言うことなど意に介さないだろう。しかしありていに言えば、生活レベルの自己保身から出ている選択だし、そのことを自分でもよく知っているので、つい周辺のウワサが気になる。

「ねぇねぇ、知ってる? 先ごろうちの長屋に入ってきたお武家さん、どうも元赤穂のオサムライさんらしいよ」
「へえ、ほんと? 吉良のお屋敷に入った人たちは武士のカガミだって言われてるけど、あの人、曇った鏡みたいに影がうすいねぇ。どっかおどおどしてるようだし・・・。ああなっちゃあ武士もおしまいだねぇ」

 たとえばこういった庶民のお気楽なダベリングにまでもびくびくしながら、息を殺すようにしてひっそりと生きていたのではないかと思う。
 なんか思っただけでもツライ。

 ・・・で、ここは江戸川柳の力を借りて笑っちゃおう。

  こすいやつ山よ川よと呼んで逃げ

 わしがむかし見た長谷川一夫主演の忠臣蔵映画でもやってたけど、討入りの吉良邸で暗がりのなか敵味方を判別するために、浪士たちは合言葉を用意していたという。それが「山」と「川」だ。
 吉良邸側の侍のなかには、物陰から窺っていてそのことを知り、ちゃっかりその合言葉を使ってわが身の保全をはかった者もきっといたよネ、というわけだ。
 ま、確かにこういうの、どこにでもいるわな、現代にも。
 早い話、わしだってあの修羅場にいたらやったかもしれない。向こうは気づいていないのに、こっちから先に「山!」なんて大声だして・・・。その声が裏返っていたりしてね。

 もう一つ、忠臣蔵がらみでわしが好きな川柳は次の一句だ。

  あくる日は夜討ちと知らず煤(すす)を取り

 当時の江戸では、12月13日は「煤払いをする日」と定められていたそうだ。いまの日本でいえば、2月14日は「チョコレートを贈る日」で、菓子屋の店先からチョコが出払う・・・ようなものかもしれない。

 元禄15年12月13日の本所吉良邸でも、朝から盛大に煤払いが行われたにちがいない。
 午後3時ごろには屋敷のすす払いもすべて終わり、男衆女子衆たちは前掛けを外し手を洗って、茶まんじゅうか何かつまみながらお茶をすすったかもしれない。煤もクモの巣も取り払われて、さっぱりときれいになった屋敷内を見渡しながら、
「今年もそろそろ終わりだなァ」
「月日の経つのは速いねえ。ついこのあいだ屠蘇を祝ったばかりだってぇ気がするのによ」
「しかしまあ、今年はべつだん大ごともなく、無事に済んでよかったな」
「それそれ、それが何よりだ。ありがてぇことよ」
 などと雑談していたかもしれない。
 翌日未明に何が起きるか知らないからね。
 そういうのも笑えるでしょ。
 人間ってぇのは、いつの世も同じだねぇって・・・。
 
 で、ちょっと(だいぶ?)話が飛ぶ。
 近ごろマスコミが大騒ぎしている “日産ゴーン元社長逮捕事件”だけど、あれ、どこか忠臣蔵に似ていない? わしは、なんかそんな気がするんだけど・・・。
 ”日産生え抜きの人たちによる緻密に計画されたクーデター” などという報道も、週刊誌や月刊誌で行われているようだし・・・。

 だとすると、”忠臣蔵ストーリー” が数百年経っても消えない理由が、なんとなく見えてくるよね。
 
 ま、ほんとはそんなことはどうでもいいんだけど、明日の未明あたりに、何か起きたりしないだろうねぇ。

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