なぜ黒豆の出来が話題になるか

 これまでも何回か書いているけど、カミさんには弟がいるが、この弟とは長いあいだ付き合いがなかった。
 ありていに言えば、カミさんと義弟は犬猿の仲状態の姉弟。で、ずっと、ほぼ音信不通だった。

 それが母親の死で交流が少し復活した。
 葬儀やその後の一連の仏事、相続問題等でいやおうなく顔を合わせているうちに、氷が溶けたのである。

 もちろん完全な水になったわけではない。手を入れると気持ちのいいぬるま湯には遠い。いや水の中にまだ氷のかけらが残っていて、手に触れるとチクッとくる。

 だが元日に、わしらはあえて彼をわが家に招いた。諸般の事情で彼がいま独り住まいをしているから・・・ということもある。

 最初はあまりいい返事をしなかった。が、カミさんのあとにわしも電話に出たりして、簡単にあきらめないでいると、折れた。
 元日の朝、彼は約束の時間ぴったりにやってきた。

 カミさんがそれなりに頑張って作ったおせち料理が卓上に並んだ。
 その料理のひとつ黒豆を箸でつまみながら、義弟が言った。
「あのさ、○○家(カミさんの実家名)では、お節を食べるとき毎年かならず黒豆の出来ふできを、おふくろが話題にしただろ。今年はうまく炊けたとか、今ひとつだったとか・・・」

 言われてみるとその通りである。わしも結婚後なんどもカミさんの実家でお節を食べたが、たしかに必ず黒豆の出来ぐあいが話題に出た。

 義弟はつづけた。
「ところが、田作りとかなますとか煮しめとか、他の料理の出来ふできはぜんぜん話題にならない。あれこれ言われるのは黒豆だけなんだ。・・・なぜなのかと、正月がくるたびに自分はふしぎに思っていた、子供の頃から・・・。でもいま、なぜか分かったよ」
 そう言って彼は、屠蘇で赤くなった目をしばたいた。
「たぶんおふくろはね、結婚して最初の正月に、ひどい黒豆を作ったんだと思う。それできついことを言われたんだ、親父に・・・。おまえの育った家では、正月にシワくちゃの黒石を食べるのか・・・とかなんとか。言いかねないからな、あの親父なら・・・」
 
 カミさんはそれを聞いて深く納得する顔になった。
 おそらく彼女は弟のこの小さな話に、いまは冥土にいる父や母を、息づかいを感じるほどリアルに思い出したのにちがいない。
 
 たんに黒豆のことだけではない。それを通して自分たちの両親の、人間としての全体像を一瞬にして頭のなかに甦らせたのではないか。
 こういうことは、同じ家に生まれ育った者同士でなければできない。ついこの間まで音信不通だった姉弟の心に、思いがけず同じ温度の水が流れあった瞬間だったのではないか。
 
 それを物語るようにふたりはそれからしばらく、自分たちの親たちがどういう人間で、どういう夫婦だったかという話をつづけた。共通の思い出の中にあるいくつかのエピソードを引き出しながら・・・。
 
 口をはさむ資格のないわしは、完全には置き去りにされた形だったが、悪い時間ではなかった。
 ひとり黙ってお屠蘇を口に運びながら、義弟を招いたのは間違いではなかったと思った。
 

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