よどみに浮かぶうたかたは・・・

 2020年元日のテレビは、2019年や2018年と同じ顔をしていた。

 民放各局はどこもかしこも、お笑い芸人やアスリートに和服を着せて、子供のおもちゃ箱をひっくり返したようなことをやり、NHKは和服を着せるのは同じだが、多少まじめなことをやる・・・とまあそういった感じ。
 
 いうまでもないが人間は一年一年歳をとる。
 とりわけ老人は、シワの寄りぐあいやシミの増えぐあいが複雑多岐になり、頭に降りかかるごま塩が目立つようになり、あるいは頭の地肌の輝きがより増したりして、年々変化する。だがテレビは毎年ほぼ同じ、変化しない。
 
 連想する言葉がある。
 
 年々歳々花相似たり
 歳々年々人同じからず
 
 この有名なフレーズの「花」を「テレビ」に変えれば、ドンピシャリわしらの正月風景だった。(「同じ」の意味を勝手に変えてるけどね)
 
 ・・・なんて何の生産性もないことを考えながら、朝からお神酒が入ってふだんより一段とボケぐあいが活性化した頭の中で、わしはぼんやり考えた。
「わしらにとって、去年はとりわけ、激しい変化のあった年だったナ~」と。
 
 年初からの4,5ヶ月は、平成から令和に替わるというので世の中があれこれ騒いでいるのを、わしは他人ごとのように冷ややかな目で眺めていた。
「どうせあっしは平成よりもう一つ前の、昭和生まれ・昭和育ちの古い人間でござります。放っておいておくんなさいまし」
 ・・・なんてちょっとすねた感じでカビ臭い自室にひっこもり、静かに鴎外の歴史物などを読み返していた。
 
 そんな静かな空気を震わせてとつぜん異変が起きた。
 歳が歳だから心づもりがないわけではなかったけれど、元気に暮らしていたのでまだ大丈夫と思っていた義母が突然脳梗塞で倒れたのだ。そして1ヵ月ほど病院にいてサラリとあの世へ旅立った。
 
 長いあいだ音信不通だった義弟との話し合い。葬式。墓じまい。遺産相続協議。義母が住んでいた家への引っ越し。不動産権利移転手続き・・・。
 やらねばならないことに追われていてふと気づくと、年末になっていた。
 
 気づくことがある。
 突然この世に義母のいない日々が訪れて、それがわずか半年もつづくと、いないのが当たり前の日常になっていることにだ。
 彼女の死が天寿(百歳まであと2ヵ月だった)といっていいものだったこともあるだろうが、わずか半年ほどでひとりの人間の存在が消えてしまう。最も身近にいた者にとってさえ、あたかも最初からいなかったかのようになる。
 
 こんなふうに人間は生まれ生きて死ぬ。
 この世にひょいと現れては消える。
 
 それをエンエンと繰り返す。何億、何十億という数で・・・。
 他の生きものの命も加えれば、イヤになるほど膨大な数だ。
 
 何のために?
 
 誰か教えてくれないかなあ。
 わし自身が消えるまえに知っておきたいんだけどなあ。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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