元始、女性は太陽であった
毎日かならず1回、家から外に出るようにしている。
一日じゅう家のなかに居て、1度も外の空気を吸わないでいると、体の中にクモの巣が張ってくる。クモの糸に絡まれて、手足はもちろん、頭の動きも鈍ってくる気がする。
・・・といっても、裏山にのぼって妖怪グモと戦うわけでも、海にもぐって乙姫さまとデートするわけでもない。
ありていにいうと、日々の食いものの買い出しにスーパーに行ったり、あれ、こんな所に道があるワ、と近所の道を歩いたり、海辺に出て夕陽を眺めたり・・・ってイヤになるほど平々凡々なことをするだけだから、ま、あんまり大きな口はきけない。
・・・というわけで毎日1回は外に出ていると気づくことがある。
その1つが、じいさんとばあさんの違いだ。
じいさんとばあさんに違いがあるの? オスとメスの・・・もとい、男と女であることのほかに・・・。
って思うでしょ。
違いがあるの。たとえば・・・
町中にじいさんの姿が少ない。
近所の住宅地でも商店街でも、そこかしこでばあさんには出会うが、じいさんに出会うことがほとんどない。
毎年発表される平均寿命で一目瞭然だけど、男よりも女のほうが長生きする。だから、そもそも絶対数に差があるんじゃないの、と指摘する人もいるかもしれない。
だが外で出会うじいさんとばあさんの数の多寡は、そんな絶対数の比をはるかに超えている。
ということは、男の高齢者はあまり外に出ない、ということだ。つまりじいさんは家の中に引きこもっている。早く言やあ、男は年をとると “引きこもり老人” になる傾向がある。
言うことが矛盾しているようだけど、わしも男だから、外に出ないじいさんの気持ちは分かる。総じて男は人間の付き合いというか、社交をあまり好まんのだ。そこがじいさんのばあさんと違うところの一つだと思う。
このあいだも新聞の読者投稿欄に、こんな文章が載っていた。
近ごろ高齢者ドライバーの事故が多いので、投稿者(男性)は車の免許を返上して、路線バスに乗るようになった。
それで気づいたのだが、(朝夕の出勤・帰宅時間は別として)昼間のバスに乗っているのは老人が多い。それもほとんどが女性だ。ばあさん8に対してじいさん2くらいの割合。
しかも彼女たちはすこぶる元気だ。
車内で知り合いに気づくと、「あ~ら、お出かけ?」でおしゃべりの幕が切って落とされ、後はトイレットペーパーのように、どちらかがバスを降りるまでずるずるとおしゃべりは続く。明るく楽しげに。
その声に気づいて、遠くの座席からわざわざ移ってきて話に加わるひともいる。
それに反してじいさんたちは、顔見知りがバスに乗ってきても、一方が「やお」と言い、他方が「よお」と答えてそれで終わり。アイソもベソもない。現役中カラダにムチ打って身につけたコミュニケーション・スキルなど、完全自然消滅している。
・・・というようなことをくだんの投稿者は書いていた。
つくづく男というのはつまらない生きものだと、わしも思う。
現役時代は仕事上ムリして冗談の1つも言い、アイソ笑いもする。それが作り笑いと覚られないていどのスキルも努力して身につける。
・・・なんて考えるような人間が、いま高齢者になったわしら世代の男たちの中には多い。
それに比してばあさんたちの明るさや元気さはどうだ。
昨年当地へ引っ越してくるまで、カミさんは25年ほど自宅で絵画教室を開いていたが、そこへやってくるばあさんたちの元気で明るいこと!
絵を描きながらしょっちゅうしゃべって笑っている。いやしゃべるあいだに絵を描いている。
そういうばあさんたちを見ていると、わしはある言葉を思い出す。
「元始、女性は太陽であった」(平塚らいてう/雑誌『青鞜』創始者)
男は、太陽のあとから生まれた月だ、本当は・・・。
まず雌が地球上に誕生して、その存在を安定させるためにあとで雄がつくられた。生物学的にいえばそれが定説らしい。
今の世は、後輩が先輩の前にシャシャリ出て仕切ろうとするから、うまくいかない。
政界でも経済界でも、昨今の日本が落ち目なのはそのせいなのではないか。
ニッポンにも女性首相出でよ!
と叫んでみても、空き家のインターホンを押してるみたいで、どうも指に力が入らないんだよね。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。