老いた床屋

 わしがいま住んでいるのは古い海辺の町である。
 海べりには大きなマンションやおしゃれな邸宅もあるが、少し内側に入ると、昔からここで生活してきた根っからの住民たちが、やや密集して住む一帯がある。
 
 その住宅地の中のとある三叉路の角に、ぽつんと一軒の小さな散髪屋がある。ざるの中の大豆のなかに、一つぽつんと小豆がこぼれ落ちたように。
 
 というのは、周辺の家々はほぼすべて建て替えなどで現代風の家になっているのに、その散髪屋だけは旧態依然、昔のままの姿を残しているからだ。

 ”散髪屋” という言い方でも古い感じがするが、その散髪屋はもっと古い “床屋” と呼んだ方がふさわしい佇まいだ。
 
 店先にある、ねじり三色飴みたいな例の電飾看板(サインポール)が回っていなければ、とても営業中の店とは思えない。
 その三色飴にしても、長年そうじをしていないのか、あちこちに付着した汚れがねじり飴といっしょによたよたと回る。
 
 入り口のドアの上半分や、通りに面した壁面はガラス窓なのだが、外を通る通行人から店内が丸見えにならないよう、窓の下半分はカーテンで覆われている。そのカーテンもそうとうに古そう。何年も洗ってないのではないか。
 
 外から見えるのは、天井の蛍光灯と、壁の高い所に掲げられている古ぼけた扁額である。営業許可証とか理容師資格証のたぐいだろう。

 営業しているからには客は来るのだろうが、当地へ越してきて最初にこの散髪屋を目にしたときは、こんな店に客が来るのだろうかと不思議・・・というか驚きだった。
 
 晩夏の気配が濃くなった先日のことである。
 必要があって早朝・・・といっても7時半ごろだが、この散髪屋の前を通った。
 急いでいたので気にもしないで通りすぎかけたのだが、気づくと店の表のドアが開け放たれていた。
 
 反射的に足をゆるめて店の中へ目をやると、次のような光景が目に入った。

 出入り口に近いところに、黄ばんだ白カバーを掛けた長椅子が置いてあり、そこにひとりの老人が座っていた。一見して相当の高齢とわかる。90歳を超えているのではないかと思われた。
 
 彼は長椅子に、長い柄のほうきを抱えながら前こごみに座っていた。足元にいわゆる文化チリトリが置かれていたから、開店前の掃除をしていて、疲れたのでつい客用の椅子につい腰を下ろしたのであろう。
 
 予測したとおりだが、店内は私が子供のころによく見たのとほとんど同じだった
 2脚の理容椅子のひとつには、白い布が被せられていたので、今は1脚しか使用していないのだろう。
 
 散髪屋の前をすぎたあとも、いろいろな思いが頭をよぎった。
 おそらくあの老店主は、店の裏にある住居で、ひとりで生活しているにちがいないか。
 かつてはカミさんも一緒に店に出てていたのだが、先に逝かれた。あるいは認知症か老衰で、どこかの施設にでも入っているのかも・・・とか。
 
 子供はいない。そんな気がする。子供がいればあの店も、あの老床屋も、もう少しちがった雰囲気を漂わせているのではないか。
 
 ともあれ、数は少なくても客は来るのだろう。
 たとえば、若いころ一緒にツルんで遊んでいた友だち。とにかくアタマはあいつにやらせてやろう・・・とか。その数は年々激減しているだろうけど。

 あの年で頑張ってるんだから、たまには行ってやらなきゃあナ・・・といった近所の人たちもいるかもしれない。
 
 逆に、「ヘアサロン」とか「カット&パーマの店」なんて店には入りにくい。そもそもオレの頭はサロン向きじゃないし、カットもパーマもするほど毛がない・・・という人だっているだろう。
 
 とはいえ、1日に1人も客のこない日だって、あるにちがいない。
 ひょっとすると1ヵ月に数人・・・くらいかも。
 それでも毎日店を開ける。
 晩夏のきょうも開ける。
 
 人生は人間の数だけあるし、他人には計り知れない事情が人にはある。
 
 客用の椅子にほうきの柄を抱えて座りこんでいたあの老床屋も、そのひとりにすぎない・・・というだけの話なんだけどね。

 

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