一歩後退する寂しさ
先日の昼食時だった。
「ごはんよ」と呼ばれて食卓に着いたが、肝心の料理が卓上にない。
副惣菜が入った小鉢はいくつか並んでいるのだけれど、いつも主菜が置かれるランチョンマットの中央部分が、空いたままだ。
どうしたのだろうとキッチンのほうを振り返ると、カミさんはドアを開けた冷蔵庫中へ頭を突っ込んで、何やらゴソゴソやっている。
つま先立ちした彼女の背中には、なにやら尋常でない気配が漂っている。
「どうしたの?」
声をかけると何か答えたが、頭が冷蔵庫の中のせいか、何を言っているのかよく分からない。
ともあれメーンディッシュ(・・・というほどのことでもないけどネ)が来るのを待った。
が、いつまでも出てこない。
もう一度ふり返ると、こんどはすぐ背後に、カミさんが肩を落としてションボリとした風情で立っている。
「どうしたの?」
「料理がないの」
「料理がないって?」
「きのう作っておいた料理がないの」
事情を訊くとこうだ。
きのう夕食を作ったときに、きょうの昼食の料理もいっしょに作った。で、きょうの分はタッパーウェアに入れて、冷蔵庫に仕舞った。
ところがそのタッパーウェアが、いざ出そうとすると冷蔵庫の中にないというのである。
「ないわけないだろ。ちゃんと入れたんならね」
「入れた」
「入れたのならあるはずだよ」
「だってないんだもん」
「きちんと探したの?」
わしはよっこらしょと椅子から立ち上がった。
何かの陰に隠れているかして、見落としてるにちがいない。
どのようなタッパーウェアなのかを訊いて、わし自身も庫内を隈なく探した。たしかにない。
形が近いタッパーの蓋をいちいちあけて、中身も確かめた。
そんな所へ入れるわけないと言われながら、チルド室や冷凍室、製氷室や卵コーナーも確かめた。つまり庫内のすべてをシラミつぶしにしたが、カミさんが入れたというタッパーウェアは出てこなかった。
おかしなことがあるもんだ・・・と思いかけて、あッと閃いた。
この季節になると、外の空気は夜間には5度くらいに下がる。
冷蔵庫が満杯のときや図体の大きい食材は、夜のあいだベランダを第2冷蔵庫にすることがたまにある。
「ベランダじゃないの?!」
カミさんは言下に否定した。100パーセント間違いなく冷蔵庫に入れたと。
そうは言っても、その冷蔵庫にないのだ。わしは念のため、自分の足でベランダじゅう目を皿にして歩きまわった。が、なかった。
不思議だった。不思議という以外になかった。ひょっとして神隠し? などと21世紀人らしからぬ考えも頭に浮かんだ。口には出さなかったけど・・・。
たしかに近ごろ、わしらの物忘れははげしい。
やったことを忘れるとか、やるべきだったことをやり忘れるとかは、分かる。しかし実際は何もしなかったことを、したように記憶の中に仕舞いこまれるのも、健忘症の一種として存在するのか。
この場合は、実際は作ってもいない料理を作ったと思いこみ、しかもそれを冷蔵庫に仕舞ったとカミさんは断言しているのである。その記憶そのものが記憶ちがいで、すべては健忘症による幻・・・というようなことがあるのだろうか。認知症が突発したというなら別だが・・・。
わしはナニヤラ大きな宇宙の壁にぶつかった感じで、それにしても腹がヘッたな・・・と小鉢のタクアンを口の中へ放り込んでボリボリやっていると、
「あったッ!」
と甲高い声がキッチンから上がった。
「えッ、あったの! どこに?」
「冷蔵庫から出して、流し台に置いてあった・・・」
わしはアホらしくて声も出なかった。「出して、置いてあった・・・」などと第三者のような言い方をしているけど、出したのは自分だろ、と言いたかった。
しかしわしは言わなかった。自分も同じ穴のムジナだからだ。
いつ別のところで同じようなことをやりかねないから・・・。
年とともに物忘れが進行するのは、ウサイン・ボルトがいつまでも9.58秒で走れないのと同じで、しかたがない。
しかし、自分たちの一歩後退を目の前に見るというのは、やはり寂しいものだ。
生きものの宿命・・・とはいうもののね。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
初めまして~!
明日は我が身と、いえすでに足を踏み入れてるかな?
笑いながら読ませて頂きました
いつも拝読しています
これからも楽しませて下さい
よろしく!!
コメントありがとうございます。
われわれが歩いているこの道ばかりは、どんなに後悔しようと、
どんなに反省しようと、引きかえす道が方法がありませんからねえ。
ま、お互い、できるだけクヨクヨしないで生きてまいりましょう。
よろしく・・・。