熊を叱る

        ひとこと
当ブログは、日曜と金曜に更新することを原則にしてやっておりますが、前回の月曜は更新できませんでした。コロナ大王ではなくケチな雑菌にスキを突かれて入り込まれ、寝込んでしまったからです。古壁のあちこちから土くれが剥がれ落ちるような、老家屋によくある現象でしょう。健康が唯一の取り柄と言いながら、己の年齢(83歳)を考えると予想しないでもありませんでしたけれど、いよいよそれが現実のものとして姿をとり始めたわけで、やはり寂しさを禁じ得ません。・・・とはいうものの老化を止める秘法を知るわけではなく、大自然の摂理に歯向かう元気もないわたしとしては、与えられている命をあるがままに生きていく以外にありません。ただこのブログはその命の杖でもありますので、可能なかぎり続けたいと思っております。よろしくお付き合い頂ければ幸せです
ヒグマと共生する

 正月に観たテレビ番組には、感動的なものがいくつかあった。
 特にわしの印象に残ったのは、3日にNHKBS1で放送されたドキュメンタリー『ヒグマを叱る男 ~完全版36年の記録~』である。
 
 北海道の東端、知床半島はヒグマ(羆)の密集地帯で、 “ヒグマの王国” と言われる。
 
 特にルシャと呼ばれる辺りは、断崖絶壁が続くオホーツク海側では数少ない岩場の海岸で、餌を求めてひんぱんにヒグマが出没する。
 そもそも「ルシャ」という名は、アイヌ語で「浜へ降りていく道」という意味だそうだ。
 
 真夏でも風速2~30メートルの強風が吹く自然環境の厳しいこの地で、サケ・マス漁をしながら、半世紀以上もヒグマと隣り合わせに生きてきた老漁師がいる。大瀬初三郎さん、84歳。
 このドキュメンタリーは、この大瀬さんに36年間密着取材した記録である。
 
 ヒグマは本州に棲むツキノワグマより大型で、肉食性がつよい。ときに狂暴になり、襲われれば、潮風に鍛えられた屈強の男でもひとたまりもない。

 ところが大瀬さんは、半世紀以上もこのヒグマと日常的に接触しながら、一度も襲われたことがないという。
 
 この番組の中でも映像が出てくるが、猟師たちが漁網の手入れをしている浜辺にヒグマが現れ、ノソノソと背後を歩いている。ときに十数メートくらいまで近づいてくることもある。
 
 そういうとき大瀬さんは立ち上がり、ヒグマに相対して仁王立ちになって、大声をあげる。
「こらぁーッ! こっちへ来るなぁーッ!」
 大声だけではない。その声と立ち姿には裂パクの気合がこもっている。
 ヒグマは足を止め、大瀬さんを見る。
 大瀬さんはさらに大声を放つ。
「こっちへ来るなぁーッ! 来ちゃーダメだッ!」
 するとヒグマは、ゆっくりときびすを返して、離れていく。
 
 こういう光景はじつは世界でも珍しいのだという。
 この地が2005年に「世界自然遺産」に登録される際、登録条件を調べにユネスコからやってきた調査委員が、そのようなことは他では見たことも聞いたこともないと驚いていた。
 
 どうしてここではこのような光景が見られるのか。
 
 まず第一に大瀬さんら猟師たちは、浜にやってくるヒグマがどんなに腹を空かせていても、絶対にエサをやらない。
 冷たいように見えるがそうではない。たやすく食糧が手に入ることを覚えると、ヒグマたちの出没がふえ、事故につながる。結局、銃を持ち出さざるをえなくなる。
 有無を言わさない敵対関係が生まれる。
 
 第二に、危険な距離まで近づいて来たときには、大声をあげて、これ以上は近づくな、というこちら側の態度をはっきりと示す。

 相手は人間よりはるかに大きい。力もあり、ぶつかればひとたまりもない。
 しかし、こちらに相手を傷つける(敵対する)意思がないことを示し、しかしこれ以上は近づくな、という姿勢を毅然と伝えれば、ヒグマはそれ以上近づいてこないという。もちろん人間を襲うこともない。
 
 何年かまえ、何かの理由でヒグマたちの食糧が極度に不足した年があった。
 食べものを求めて浜をうろつく彼らのなかには、まるで灰色のキツネのようにやせ細って、見る影のないものもいた。
 それでも大瀬さんたちは餌を与えなかった。

飢えたヒグマ

 そんなある日、荒れた波に乗せられて、一匹のアザラシの死体が海岸に打ち上げられた。
 それを見つけた大瀬さんはすぐさま番屋にとって返し、荒縄を持ってきて、ふたたび海に戻されないようアザラシのしっぽを岩に結びつけた。老体の彼自身が荒波にさらわれそうになる危険を冒しながら・・・。
 
 翌日、アザラシはきれいに骨だけになっていた。
 大きなアザラシだったから、おそらく複数頭の飢えたヒグマを救ったにちがいない。
 
 こうした大瀬さんの姿には、人間の生き方としてひとつの模範例を見る気がする。

 先に触れたユネスコの調査委員と談合したときだった。
 世界自然遺産への登録を申請するなら、この地域にある道路や橋を撤去して自然の姿に戻せ、というユネスコ側の要求に対して、大瀬さんは即座にそれはできないと断った。
 ここには漁で生きている猟師たちが住んでいる。道路や橋はそんな彼らの生活道路であり橋であるからと。
 
 余計なことは言わずに、必要なことを必要なだけきちんと言う。
 他者に責任を転嫁せず、必要なことは黙々と自分でやる。
 どんな場合にも決して敵対的にならずに、伝えるべき自分たちの事情を静かに、率直に、しかし毅然として相手に伝える。
 
 それはヒグマに対するのと同じ対し方だ。
 
 ヒグマたちが大瀬さんに対すると素直にきびすを返すように、ユネスコの委員たちも大瀬さんの言い分を認め、知床は世界自然遺産として登録された。

 そうさせるだけの何かが大瀬さんにはある。
 それは大瀬さんの生き方の中から生まれたものだろう。
 
 日本はいま近隣諸国との関係がギクシャクしている。
 日本はこの老漁師から学ぶべきものがあるように思う。
 
 それにしても、ヒグマが相手でも国が相手でも本質的には同じであるところが面白い。

 この世の味わいというはこういうことの中にある気がする。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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