おうちがだんだん遠くなる

おうちがだんだん遠くなる

 いきなりナンだが、どんな女性が好みのタイプか、という話を若いころはよくしたものだ。今のわしにはあまり熱の入らない話になったけど・・・。

 はたから見ると、なんであんな女(あるいは男)に入れ揚げるんだろう、と首を捻るのだけれど、当人は至ってまじめだ。

 俗に「タデ食うムシも好き好き」と言われる現象だが、食べて産んで死ぬだけの虫・・・たとえばゴミムシダマシの話なら分からぬでもないけど、人工衛星や人工頭脳(AI)まで産みだす人間のやることとは思えない。
 だがこれ(異性への好き嫌い)は理屈ではない。

 逆に「好き嫌い」に理屈が入ったら、イヤらしくなる。
 あの女(あるいは男)を好きになったのは、彼女(あるいは彼)には係累のない独り者の伯母さんがいて、その伯母さんがとんでもない大金持ちなんだ・・・といったようなケース。
 吐き気がするねェ、そういうの。
 ・・・なんて言えるのは、お前さんがそういう相手と出会えなかったからだろう。
 う~ん、そうかもしれんが、でもまあとにかく、一般的には愛に打算を絡めると嫌われる。場合によっては人でなし呼ばわりされる。

 昨今、週刊誌などが騒いでいる某皇族女性の結婚騒動なども、もし内親王が結婚するとき支払われる1億5000万円余の一時金問題がなければ、これほど相手の男性K氏も世間から嫌われたり、悪く言われなかったのではないか。

 もしK氏にそういう打算や計算がなく、純粋に愛から生まれた恋愛であり婚約であったなら(その可能性だって否定できない)、彼にとってはこれほどやり切れない話はないだろう。わしなら世を儚なんで死んじまいたいと思う。

 だがたとえ事実がそう(純粋な愛)であっても、K氏が悪く勘ぐられていろいろ言われるのは避けられない。親族・親類縁者の重箱の隅まで突つかれまくるだろう。

 なぜなら、それが人間だからだ。
 やじ馬の背に乗ったやっかみは千里を走る。

 相手のM子内親王にしても、こんど生まれ変わるときには、普通の家の女の子に生まれたい・・・と切望しているのではないか。であれば、自由に純粋に愛に向かって思いっきり走れる、千里の先までも・・・と。
 
 たまたまだが、つい先日、NHKスペシャル『映像の世紀』の再放送で、世界の難民を特集したドキュメントを観た。
 難民にならざるを得なかった母国の惨状や、逃避行中の貧苦と難行苦行、饐えた臭いがに漂う難民キャンプの悲惨な生活・・・。

 いやおうなくそういう人生を生きざるを得ない人たちが、現代でもたくさん居る。

 そうした映像を見て暗澹たる気持ちになると同時に、彼らと自分とを分けているモノはいったい何なのか、と考えずにいられなかった。
 
 答えは単純で、人間は生まれる所を選べないからだ。

 わしの半ボケ頭ではそれくらいしか思い浮ばない。

 生まれたら一生それに縛られるというのに、なぜ人間は、生まれる国や場所、親や家族を自分で選べないのか?
 
 それが運命だから。

 じゃ、運命って何だ。
 誰が、何の権利で、ひと言の相談もなく人の運命を勝手に決めるのか?
 
 ますます分からなくなるな~、と呆けたようにぼんやりしていると、不意にとある童謡のメロディと歌詞が、頭のなかに浮かんできて、流れだした。

 なぜだか分からない。
 ともあれここまで読んで頂いたよしみで、あなたもちょと聴いてみて。
 ↓
「あの町この町」
 

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