人生最大の鳥肌の立った日
前回たまたま、番茶も出花の頃(高校生時代)の姉の全裸を、目と鼻の先で目撃して、女体初見だったので、不覚にもフリーズした話を書いたら、そのつながりで、姉がらみの他の情景をいくつか思い出した。
その一つ。
前回とほぼ同じころである。
姉は高校で、ダンス部に所属していた。いわゆる部活だ。3年生のときは部長もやった。
他の多くの部活でも同じだろうが、ダンス部々員の最高のハレの日は、学園祭である。ふだんの部活動の成果を舞台に上げて、同校はもちろん他校の生徒や卒業生・父兄に披露する。・・・というより1年中の部活動はこの日のためにあった。
で、学園祭が近づくとタイヘンだった。
毎日暗くなるまで帰ってこない。
なによりも目の色が変わった。目だけでなく、姉の周辺にただよう空気の振動周波数が変わった。
『白鳥の湖』の踊り子が着るような衣装を自製するため、足踏みミシンにかじりつく。メイクアップの練習だといって、鏡のまえで何やら顔に塗りたくり、化け猫を現出させる・・・。
しかし記憶にいちばん強く残っているのは、何といっても学園祭当日の舞台だった。
そのときは部長だったからか、姉は主役らしき役をやったのだが(だからこそ弟とわざわざ隣町の高校までバスに乗って観に行ったのだ)、わが84年の人生で、あのときほど全身に鳥肌が立った時はない。
「鳥肌」という言葉は、最近は誤用されるからあえて付け加えるが、感動したのではない。理由のよく分からない寒けに襲われて、全身が粟立ったのである。まだ小学生だった弟さえ同様だったことを、彼は帰路に吐露した。
主役を演じたからといって、姉はいわゆるバレリーナ―みたいな長い手脚を備えていたわけではない。・・・というよりむしろ、日本の伝統的女性の正統的血統をひく体形・脚型を所持していた。当人がまだ生きているのでちょっと言いにくいんだけど・・・。
そんな、自分と同じ血を分けた純日本風体形の姉が、シロートが手作りしたチュチュまがいのコスチュームをまとい、大勢のひとの目のまえで短い手足を振り回している姿を見るのは、なんとも形容しがたい気分にさせられた。下品だとまた叱られそうだが、いわば自分のお尻の穴を拡大鏡で覗いているような気分だった。
このときの記憶を1番とすると、姉に関する2番目の思い出は、わが浪人中に、恋の悩みの相談をされて泣かれたことである。(それは次回で)
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。