思い出の五右衛門風呂

五右衛門風呂

 NHKのゴールデン・タイムの番組に、お笑いコンビが有名人の家を訪ねて、そのうちの風呂に入らせてもらう・・・という番組があった。
 
 何か変わったことをやって視聴率を稼ごうというコンタンが、裸を見るように丸見えだネ。いや実際に番組のなかで、出演者たちが裸になって風呂に入る場面がヘソなのだが、その狙いはぬるい。
 
 女性が裸で(…といっても胸から下はバスタオルで隠しているのだが)入浴するシーンを見せ場にするのは手垢まみれの手だし、ましてや女性ではなく男が、それもお肉たっぷりの大柄の男の裸を見せられても、視聴率アップにつながるとは思えない。アップするのは体重計の針だけだ。

 もっともその裏には、”裸の付き合い” を利用して・・・というコンセプトがあったかもしれない。
 つまり裸になることで “腹を割った話” を引き出す。
 だがそれだって、腹より頭が先行する感があって、企画センスは生ぬるい。生ぬるい風呂は風邪を引く。
 案の定、この番組は最近終了したようだ。NHKの番組としては短命だった。

 番組は終了したが、それでわしは自分の子どもの頃の風呂事情と、風呂がらみのいくつかの情景を思い出した。ほぼ70年間、そんなものは土の下に埋めたように忘れていたのだけど・・・。
 
 わしが子供のころ田舎で入っていたのは、五右衛門風呂である。
 ・・・と言っても今の人には、それがどんな風呂か知らないかもしれない。
 江戸時代に大活躍した大泥棒・石川五右衛門が、生きたまま “釜ゆでの刑” に処せられたというので、そう呼ばれるらしい。(冒頭の画像参照)
 鉄で作られた大きな釜に水を入れ、下から火を焚いて湯をわかす。そこへ人間が入るのだが、もちろん茹であがる前には釜から出るヨ。うどんじゃないからネ。
 
 釜の火を焚くのは大人だ。子供にやらせると火遊びをして危険だからって・・・。
 しかし釜に水を入れるのは子供の役目だった。水は燃えないからサ。

 裏庭にあった手押しポンプでギコキゴ地下水を汲み上げ、それを家の土間にある風呂釜までバケツで運ぶ。

 子供にはけっこう重いのに30回くらいは往復する。
 それを弟とふたりで毎日やった。
 ひとりがポンプを押し、他方がバケツを運ぶ。当然バケツ係りのほうがしんどい。トーゼン役割は半々で交替。
 
 そこで取引きが登場する。メンコ3枚とかビー玉3個で、バケツ運び1回。・・・といった取引き。
 わしには悪い取引きではなかった。メンコやビー玉はどうせあとで取り返せたから・・・。
 
 そんな取引きを夢中になってやっていた子供が、いつのまにか煮ても焼いても食えない古狸になるんだから、人間ってのは信用できねぇ。
 
 あと、子供のころの風呂で思い出すのは、母親に頭を洗ってもらったことだ。
 風呂のいすに座った母親の太股の上に仰向けに寝かされて、石けんをつけた頭をゴシゴシこすられたり、お湯を掛けられたり・・・といった入浴シーン。

 すぐ目の前、今にも鼻の先が触れそうなところに、白い乳房がぶら下がってブランブランしていた。何も知らないはずの幼児でありながら、すでにそれを何か特別のもののように感じていたから、人間って隅におけねぇ。
 
 そのつながりでもうひとつ。
 そのときわしは中学生だったから、姉は高校生だったろう。
 風呂に入っていた姉から、石けんだったかシャンプーだったか、入浴に必要な何かを忘れたので持ってきてくれるように頼まれた。近くにほかに誰もいなかったから、わしに頼むしかなかった。
 当然、頼まれたものを渡すとき浴室のドアを開ける。
 目の前に白く輝くような女の体があった。フリーズして目が点になった。
 いつのまにか姉は大人になっていた。
 こっちも性に目覚めはじめた頃だったから、一種の衝撃だった。おそらく母親以外の本物の女体を目にした、人生最初の瞬間だった。
 それ以後しばらく、まともに姉と目を合わせられなかった。
 
 いまその姉は88歳である。
 さすがに目を合わせても面映ゆくなることはない。
 あのまぶしい輝きはいったいどこに消えたのか。
 時間が奪っていったのである。で、当方も干し柿になっている。
 
 なんとなく、湯の中で屁を放ったような話になったナ。
 

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