“逃げてる” と思う
突然だけど、数年前、山口県で2歳の男の子が行方不明になって、なかなか見つからなかったことがある。
そのとき大分県から私費でやってきて、山中でその遭難児を見つけ出し、“スーパーボランティア”と言われて一躍時の人となったの人がいた。
覚えているひとも多いだろうけど、尾畑春夫さん(当時78歳)という人。
この小畑さんが、こんなことを言っているのを最近知った。
「言葉ちゅうのは人柄が出るのよ。よく『・・・だと思う』が口癖になっている人いるでしょう。『大丈夫だ』って言い切るんじゃなくて、『大丈夫だと思う』って。
それね、『たぶん』というエクスキューズなんですよ。
(中略)
後で何か突っ込まれても、『あれは自分の心の中で思っただけ』ちゅう逃げ言葉なんよ。」(白石あづさ著『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』より)
わし、胸の中でちょっとドキッとしたね。
なぜって、このブログでもしょっちゅう使ってるから。「・・・と思う/・・・と思った」って。
無意識に使っているのだけど、言われてみれば小畑さんが言うとおり、どっかでエクスキューズしているのだと思う。
ほら、今も使ったでしょ。こんなふうにあちこちで使っていると思うよ。・・・って、ほら、また使った。
確かに言葉というのは、話し言葉でも書き言葉でも、人間が出る。
言いわけや弁解にかぎらず、その人間のさまざまな面がにじみ出ちゃう。
隠そうとしても、その隠そうとしていることが透けて見えちゃう。当人は気づいてないけど、穴の開いたパンツをはいて大通りを歩いてるようなもんだ。
だから、今わしがやってるようなブログを書くという行為は、実はめっぽう恥ずかしい振舞いなんデスね。
裸体をさらして人前に出ることはそう簡単にしないけど、もっと恥ずかしい人間の内側・裏側を、誰に頼まれたわけじゃないのに自らやってる。考えてみれば、なんとおっちょこちょいなことをしてるんだろうと思う。
にもかかわらず、この世にブロガーやSNS投稿者がごまんといるというのは、人間ってまったくヘンな動物だと思うけど、要するに「自己表現欲求本能」というのがあるからだという。
神は人間を創るとき、なぜこんな面倒な本能を与えたのかねぇ。
食欲や性欲があるのはまあ分かる。個や種の存続に必要だから。
しかし、自己表現などしなくたって生きていける。
しかしまあ、ただ生きているだけじゃ物足りんのだろう。
生きるのに必須というわけじゃないんだけど、絵も見たいし、音楽も聴きたいし、野球やサッカーも観戦したい。ついでに政治家の権力争いの茶番劇だって見て嗤いたい。
要するに面倒くさい生きものだってことだねぇ、人間って・・・。
わしのの口ぐせだけど、そう思う。
・・・ってまた逃げるわけデスわ。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。