出が速い
残念ながら、年を取ると動作がのろくなる。
やることなすことがトロイ。自分でも情けなくなるが、どうすることもできない。
ところが逆に、年を取ると早く、そして速くなるものもある。
涙である。涙の出が早い、そして速い。
たとえばわしは、脳梗塞の後遺症の一つで、ロレツの回りがちょっと怪しくなった。で、言語聴覚士からリハビリ訓練を受けている。
このあいだも、そのリハビリの一つとして童謡を歌わせられたのだが、「赤とんぼ」を歌っているとき、とつぜん涙がドッと出てきた。だらしないことに顔が歪んで、歌がちゃんと唄えなかった。
歌詞の描いている情景が、わしの子供のころはまだ周辺に見られるものだったので、懐かしさの感情が急激にふくれれ上がって、喉を塞いだのである。
突然そんな反応をしたわしに、言語聴覚士のお姉さん(・・・といっても30代半ばの女性)は驚いて、対応に困っていた。申し訳ないことをした。
同じ頃の別の日だが、「題名のない音楽会」というテレビ番組を観ていたら、突然ドバッと涙があふれてきた。
話が尾籠になって申し訳ないが、理由もなく突然勝手に下の方から出てくるオナラも、年寄りを困惑させる勝手気ままの大立者だが、わしがいま話題にしている涙は、オナラのように理由もなく出てくるわけではない。ウシミツ時に出る幽霊同様、出るには出るだけの理由がある。
この時の「題名のない音楽会」に出た幽霊は、日本音楽界の重鎮・チェリストの堤剛氏である。彼が『鳥の歌』をソロで演奏したのだ。
勿論この『鳥の歌』・・・スペインカタルーニャ地方の民謡をパブロ・カザルスがチェロ用に編曲した曲・・・はもの悲しい旋律を持つ名曲だし、堤氏の演奏も悪いわけではなかったが、わしの目にあふれ出たこの時の涙は、この曲、あるいはこの曲の演奏自体から出たものではなかった。それが50年前のある出来事を思い出させたからである。
今からおよそ50年前は、ベトナム戦争の真っ最中であった。世界中の人々の胸の中に硝煙の臭いを吹き込んで、世の中をひどく重苦しいものにしていた。
そんな頃の世界国際平和デーに、国際連合本部の総会で、パブロ・カザルスが『鳥の歌』の演奏をしたのだった。その際彼は次のようなコメントをした。
「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです」
その映像をたまたまテレビで観ていたわしの胸は、熱くなり、瞼は涙でふくれた。
一部の人間(主として政治家)たちの振る舞いによって、責任のない数知れない弱い立場の人間たちが、底知れない苦しみや悲しみの底に突き落とされる現実。しかも大多数の人間は、それをどうすることもできないこの世の不条理・・・。
そういう世の中に対する強い怒りや悲しみの思いが、全霊で弾くカザルスのチェロの弦のひびきの中から迸り出ている気がしたのだった。それが当時の人々の胸を熱くした。
そして50年の時を経て、世はふたたびウクライナで同様の状況をくり返している。
それが、50年前のパブロ・カザルスの言葉を思い出させたのである。
「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです」
この言葉が、わしの胸の中でも化学反応を起こして涙腺を刺激したのだ。
それにしても近ごろのわしの涙腺は、こうした化学変化にひどく弱くなっている。やたら涙もろくなった。そのことを最近いやおうなく思い知らされている。
年をとると頻尿になるのと同様の生理現象が、老いた体に生じるのかもしれない。
意思でのコントロールが不可能であるところが厄介である。
老人になるということは、こういう厄介ゴトが増えることだと覚悟する以外にないのだろう。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。