80歳のばあさんがシクシク泣いた

泣く老婆

 先日朝早く、カミさんが寝ている部屋から変な声が聞こえてくるような気がしたので、覗いてみると、カミさんが布団の上に座ってシクシク泣いていた。
 隣に抽き出しが置いてあって、中身が周辺に散らばっている。
 
 こういうことは今までにないことだった。
 ・・・と書いて、ふと思い出した。そう言えばじつは結婚してまだ間もない頃に、同じようなことがあったのを、である。
 夜中にふと目を覚ますと、彼女がとなりの布団の上に身を起こしていて(当時は同じ部屋に寝ていた)、声を忍ぶようにして泣いていたのだった。

 何ごとかと訊いてみると、なにやら不審げな上目づかいでわしを見て、
「あなた、なんでわたしと結婚したの?」
 と涙声で訊いたのである。
 くり返すが結婚してまだ間もない頃だったのだ。こっちにしてみれば、まったく訳の分からない突然の “尋問” であった。

 思い返してみると、いま目の前で展開しているのは、あのときとほとんど同じような情景である。
 しかし、この間にほぼ60年の時間差がある。新妻と筋金入りの老妻・・・という実態の差もある。にもかかわらず同じ光景の再現とは・・・。
 
 ともあれ今回も60年前と同じように、「いったいどうしたの?」と訊いてみる以外に手はなかった。

 するとカミさんは、見るからに(ほとんど絶望的に)落ち込んだ表情で言ったのである。
「わたしって、ほんとに認知症なのね。記憶力がまったく失われているわ。ほとんど何も憶えていない・・・」

 何を今さら・・・とわしは思わないでもなかったが、患者当人に自覚がないのがこの病気の特徴らしいから、まあ仕方がない。

 横に座ってくわしく話を訊いてみると、こんなことを言った。
 朝早く目が覚めたので、いつもより早めにパジャマから普段着に着替えた。
 直後にふと思う事があって、普段あまり開けることのない抽き出しを開けたら、以前に撮った写真がたくさん出てきた。
 まだ布団を仕舞う前だったので、抽き出しごと布団の上に運んできて、下半身を布団に入れて写真を見始めた。
 
 するとそれらの写真はすべて、いつどこで撮ったものか、まるで憶えていなかった。
 写っている人たちも、写されている風景も、どこの誰であるか、どこの場所だったか、皆目見当がつかない。
 
 大きなショックだった。
 
 プリント写真は色も褪せていないし、写っている女性たちが身につけている服装からいっても、それほど以前に写したものではないのは確かだ。
 にもかかわらず、憶えのある写真は一枚もないのである。まるで初めて訪れた牧場の羊の群れの中に放り込まれたのと同じだと言った。ほとんど夢を見ているようだとも・・・。
 
 しかし夢ではない。自分も写っている目の前の多数の写真が証拠である。
 
 当ブログにはこれまでも何度か書いているが、カミさんの認知症で機能不全に陥っているのは、短期記憶が主である。症状は日々進行していて、今や数分前に言ったことや為したことを、ほとんど憶えていない。場合によっては数秒前のことも忘れる。
 しかし、目前の状況を判断する能力は、まだ大きくは損傷はしていない。かなり普通にできる。

 その正常に近い判断能力が、客観的な事物(写真)を通して自分の記憶力が壊滅状態になっていることを、正常に判断して当人を絶望させているのだから、皮肉ではある。
 
 しかし当人にとってみればそれは確かに相当に大きな打撃であろう。80歳でもシクシク泣いたのは無理もない。
 結婚したばかりの新妻が夫の愛情に疑って泣くのとは、比べものにならない喪失感・絶望感が伴うであろう。
 
 しかし救いもある。
 絶望を生んだ病気自身が救いにる。
 自分が記憶力を失っていること自体も、すぐに頭の中から消え去ってしまうからである。
 
 神はジヒ深いのか、それともアソビ好きなのか。
 

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