この店は実は「焼き鳥屋」です
わが小さな町にも、商店通りにちょっと小ジャレた構えの店がある。
この店の前を通る通行人は、たいてい、その前でちょっと足を止めるか、歩調を緩める。
そして、ニヤッとする人もいれば、不審そうな顔をする人もいる。
通行人の目をとめる何があるかといえば、その店の入り口のガラス戸に、ちょっと変った張り紙がしてあるからだ。
その張り紙には、大きな黒々とした字でこう書いてある。
“この店は実は「焼き鳥屋」です”
つまりこの店は張り紙がなかったら、初めての人は「焼き鳥屋」とは思わないで入ってくるのだろう。
恋人たちとか若い夫婦とかが、シャレた飲み物と会話を楽しもうと思って入ってきたら、えっ、何だこの煙とおじさん臭い匂いは・・・という顔をして戸惑うのだろう。
この店のオーナーはおそらく、この道に経験のなかった若い人だったに違いない。
開店後になって後悔しただろうが、時すでに遅し、改築する金は残ってない。
で、入り口の大きな張り紙となったわけだ。
第一、金が掛からないしね。
・・・ことほど左様に、人間はとかく外観でものごとを判断する。
物の価値や人間の価値は、単なる見かけの良し悪しにはない。
・・・といいうことは誰だって頭ではわかっている。にもかかわらず、多くはえてして見た目の良いほうへ寄っていく。
とりわけ愚かなのは結婚の相手選びである。
相手しだいによってその後の人生が大きく支配される。幸せになるか不幸になるかの大きな分かれ道になる。
結婚の幸不幸を決めるのは、実際には外観ではない。性格だったり価値観だったり、感性だったり金銭感覚だったり、はたまた相性だったりする。それは分かっていても、多くはつい見映えの良いほうに手を出してしまう。
たまたま今朝のテレビのニュースでも報道していた。
若者の仕事選びの基準は、9割方が恰好いいことであると。
実際にある警備会社が、昨今の人手不足対策として制服を格好が良いものに替えたら、入社応募人数が増えて、会社の収入も上がったと。
人間以外の動物でもその傾向はあるらしいから、生きものは種を選ばず、多かれ少なかれ見た目が重要なのだ。
・・・とすればとやかくいってもしょうがない。
みんなが思わず振り返るような眉目秀麗に生まれなかったおのれ不運を嘆きながら、しょぼしょぼ生きる以外にない。・・・わナ。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。