ベンガルトラ逝く

紅テント

 先日、朝起きてテレビのスイッチを入れたら、どの局でも大きく報道していたニュースのひとつは、劇作家・俳優の「唐十郎」の死であった。

 彼はわしとほぼ同年代(彼は当方より2歳半ほど年下)で、わしの若い頃(20代後半、30代)には、彼ほど派手に暴れまわった感じの男はいなかった。

 妻の李麗仙(当時)とともに、ストリップまがいの金粉ショーをやってキャバレー廻りをし、それで稼いだ金で新宿の花園神社に「紅テント」をおっ建てて、『腰巻お仙の百個の恥丘』などといったキワドげな題名の自作の芝居を打って、世間の目をひいていた。
 
 その紅テントでは、現代社会の偽善を一刀両断し、仮面の下に隠された素顔を剥ぐと称して、舞台の最後に背景のテントさっと開いて新宿の現実空間を露出させ、その中へ役者たちが飛び出していく・・・といった、現実と虚構が表裏一体となった場面をクライマックスにする・・・というようなド派手な芝居をやって見せた。

 ところが一般庶民は保守的だからそんな唐についていけず、地元商店連合会などから「公序良俗に反する」として排斥運動が起こり、ついに神社総代会より神社境内の使用禁止が通告された。

 結果唐は、「さらば花園!」というビラを撒きいったんは花園神社を去ったものの、半年ほど後には新宿西口公園にゲリラ的に紅テントを再出現させ、東京都の中止命令を無視して『腰巻お仙・振袖火事の巻』の公演を強行。200名の機動隊に紅テントを包囲されながらも、最後まで上演を行ったりした。

 折りにふれてマスコミなどで行なう発言も、「反演劇」「反新劇」とか「俳優は肉体がすべて」などと、当時の演劇常識をケ飛ばすような挑発的なものものが多かった。

 芝居がはねた後は夜を徹して飲み明かし、ちょくちょく暴力沙汰を引き起こした。
 当時わしらの耳にも入ってきたのは、新宿ゴールデン街の飲み屋で作家の野坂昭如と大喧嘩をし、バーのカウンターに包丁を突き立てたとか、特に有名なのは、紅テントの興行初日に、アングラ演劇界のライバル寺山修司が葬式用の花輪を送り、その意趣返しに唐が劇団員を引き連れて寺山の劇団・天井桟敷を襲い、大立ち回りを演じて唐・寺山を含む双方の劇団員が暴力行為の現行犯で逮捕された・・・などという事件もあった。
 
 わしも当時は学生演劇に熱中していたので否応なく目を引かれたが、自分たちのやっていることに比べれば、彼のやることはケタ外れであった。
 そういう彼に対するイメージは “ベンガルトラ” だった。(彼の作品の中に『ベンガルの虎』という表題の戯曲があるせいかもしれない)
 
 インド・ネパール辺りに棲息するこの虎は、いま絶滅危惧種らしいけど、唐十郎のような若者も、現在の日本では危惧種どころか完全に絶滅しているように思える。
昨今の日本では、化粧したり脱毛したりする青年男子は珍しくないようだが、派手な自己主張をしたり政治的な発言をするのはダサいと思うらしい。
時代が変わったといえばそれまでだが、若者がこんなんで日本の未来は大丈夫か、などと思うのは時代遅れなのだろう。
 
 そう言えば、当時もうひとり同年代で名を馳せていた若者がいた。
 その名を「唐牛健太郎(彼はわしと同年生まれ)」といい、彼は当時全国的な広がりをみせていた「安保闘争時代の全学連委員長」であった。

 面白いのは二人の名前がどこか似ていること。
 名字に「唐」がつき、名前が「十郎」と「健太郎」だ。
 だからどうだってことはないけどサ。
 
 ま、要するに今回も、老いて時代遅れになった老人のぶつくさゴトにすぎない。
 それにしても、最近は同年代の人間が次々と亡くなっていく。
 これはやはりちょっとさびしい・・・。
 

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