突っ張る食器戸棚 開かずの引き出し

 今年の夏、小さな小さな出来事だが、生活にちょっと困ることが生じた。
 
 わが家のキッチンとリビングの境に、わしらの今の生活にはそぐわぬ大きな食器戸棚がデンと居座っている。
 わしらがまだ血気盛んだった壮年時代に買ったもので、使用されている木材は堅く分厚く、見た目も重厚感があって、値段もかなり張ったのだが、ムリして購入したものだったと記憶する。おそらく何かの理由で(特別な来客の予定があるとか)ガラにもなくミエを張ったのであろう。
 
 で、問題は、その食器戸棚の中段に、引き出しが横並びに数個とり付けてあるが、その中の一つが開かなくなったのである。夏のある朝、必要があって開けようとしたら、びくともしなかったのだ。
 
 その引き出しも大きめで、スプーンやフォークなどのカトラリー類、箸や菜箸や箸置きなど和食系のもの、爪楊枝や口拭きシートやテーブルナプキンや食卓ふきんなども含めて、食事用器具類各種がすべて入れてある。毎日使う箸やスプーンだけは外に出してあったので、三度の食事はなんとか凌げているけれど、日々を送るうえで何かと不便な事態が生じる。
 
 引き出しの取っ手というか丸い「つまみ」を、目いっぱい力を入れて引っぱるのだが、とにかくどうしても開かない。
 じつは最近わしらは、ペットボトルの蓋も開けられないことがああるくらいで、加齢で握力や腕力が弱っている。
 で、大型のプライヤーを道具箱から持ち出してきて、それでつまみをつかんで開けようとしてみたが、やはりダメだった。ムリしてつまみが引きちぎれてしまったら、コトは完全に絶望的になる。中に入れてあるカトラリー類とは永久にお別れだ。
 
 当方のイノチだって永久のお別れまで遠くないのに、高い金を払って新たに買い揃えるのはいかにも不経済だ。面倒もこの上ない。で、開けるのを諦めて放っておいたのだが、先に述べたように三度の食事はなんとかなっても、 人前に出るのに毎回おなじ普段着しかない、というのは何かとモヤクヤする。
 何とかならないかといろいろ工夫をしてみたが、思春期まっ盛りの子どもが突っ張っているように、やっぱり頑として動こうとしない。
 生きていると予測しないコトがいろいろ起きるのは分っているが、終着駅近くにきてもまだこんな嫌がらせを突っ込んでくるなんて、人生はイケズだ。
 
 ところがである。
 つい先日、食器戸棚の前を通りかかって、何気なくくだんの開かずの引き出しのつまみを引っぱってみたら、すっと開いたのである。朝顔を合わせても横を向いていた娘がニコッと笑ったみたいに。
 何だ、こりゃ!
 ・・・と驚いた。

 不都合が解消されたのは助かったが、喜びよりも不思議感が先にきた。
 夏以来だれもこの引き出しに手を触れていないはずだ。念のためカミさんに尋ねてみたが、訊くだけヤボだった。彼女の握力・腕力はわしの半分もない。今や何かをしようという気持もない。

 いったい世の中にはこんなコトがあるのか!?
 
 ・・・不思議感とも不信感ともつかないものを引きずっていたら、たまたまテレビの天気予報が耳に入った。
「ようやく夏型気象状況から抜け出て、ここのところ湿度が極度に低くなっています。今日も28,9%くらいしかなく、絶好の洗濯日和です。干し物は早く乾くでしょう」・・・・

 それを聞いてピンときた。 
 犯人はこいつだ! と。

 湿度が低くなって、「引き出し」も乾いたのだ。
 物質の多くは水分を含むと膨張し、乾燥すれば縮小する。それくらいのことは小学生でも知っている。
 木製の食器戸棚も例外ではないだろう。引き出しも、それを容れている枠組のほうも、同時にいっしょに膨張すればどうなるか。
 そしてふたたび乾燥すれば・・・。
 
 単純極まりない因果関係であった。
 この世のことはやっぱり必ず原因・理由があるのだ。
 運動をサボれば筋肉が衰え、アタマを使わなければ呆け、長く生きとればヘロヨロするように・・・。
 
 という訳で、この一件の疑問は解け、不信は消えた。
 
 ・・・だからといって「人生はイケズだ」という考えは変えマセンけどね。
 

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