突然タイムスリップした

わしの高校時代というと、70年以上も前になる。
「半世紀+20年」という年月を経ると、その頃のことは今や思い出すことはもちろん、夢に見ることさえまずない。
ところが先日、珍しいことにその高校時代の小さな一場面が、前世へ飛んだように突然ひょいと夢の中に現われた。。
最近見る夢は訳の分からないものとか、目覚めたあと気分の悪くなるような暗い夢が多い。だが先日見たその夢は、めずらしく腹のなかにポッと灯をともすような明るい夢だった。
わしの高校時代は戦後まだ10年も経っていない頃である。
通っていた高校も終戦までは男子校だったものが、戦後一転した教育思想のもと、あわてふためいて男女共学に変身した学校であった。
だからか学内には、「男女席を同じうすべからず」といった戦前の空気がまだ色濃く残っていて、一つ教室で男女が席を並べていながら、お互い見知らぬ他人のような顔をしていた。あさ顔を合わせても挨拶ひとつ交わすことさえなかった。男女で向き合ってしばらく話などすれば、周囲から注目され、奇異の目で見られるという、今から思えばどこの国の話かと思えるような状況だった。当時、日本のチベットと言われたようなド田舎の高校だったせいもあるかもしれない。
そんな状況の中で、現代にタイムスリップしたような事件が、現実にわしに起きたのである。当時のわしにすればまさしく“大事件”であった。
共学でありながら男女関係はそのような未開な状態にあっても、当の生徒たちは思春期まっさかりの年齢であった。異性に対する興味も充分に芽生えていた。
わしも、心の中で密かに気になる女の子が2,3人いた。
一番好きだったのは、自転車通学の途中で出会う女の子だった。
その高校の生徒たちは6,7割が周辺の町村から自転車で通っていて、2,3割が列車通学、残りが徒歩組であった。わしは自転車通学組で、あちこちの町や村からやってくる者たちと、道中でつぎつぎと川のように合流しながら通学した。
その中の、やはり自転車でやってくる女子高校生のひとりが、わしが心の中で密かに “恋する” 女の子であった。だがめったに出会うことはなく、もちろんひとことの言葉を交わしたこともなかった。名前や学年さえ知らなかった。
2番目に好きだったのは同じクラスの女の子で、黒髪が印象的な色の白い子だった。やはり “その時” まで言葉を交わしたこともなかった。
ところがある日、わしはその女の子を自転車の後ろに乗せて、人目のなか町のなかを突っ走ったのである。
なぜそんな “並外れた” ことをしたのか、できたのかはあまり憶えていない。ただ彼女は列車通学組のひとりで、いつも乗る列車の時刻に乗り遅れそうだったことは記憶にある。その列車に乗り遅れれば、次の汽車まで2時間半以上待たねばならなかった。
学校から駅まで歩けは20分ほどの距離だが、自転車で突っ走れば5,6分で行ける。だから自転車に乗せたのは確かだ。
しかし、ふだん教室で挨拶ひとつしたことのない間柄なのに、列車に送れそうになった彼女をどのようなきっかけで、あるいはいきさつを経てわしの自転車の乗せたのか、そこのところの細かな経緯はまるで記憶にない。
しかし、ぶじ汽車に間に合わせて彼女を駅まで送り届けたあと、何とも言いようのない昂奮と喜びで胸がうち震えたのを、数日前のことのように今でもありありと体が憶えている。
それとほとんど同じ感覚をもってその場面を、先日90歳近い老爺が夢に見たのである。そして起きたあともしばらく幸福な感覚に酔ったのだった。
どのような生理的メカニズムが体の中で働いて、70年の時間を超えて突然そのような夢を見たのかは判らない。しかし久し振りに実に気持のよい幸せな気分を味わえたのだった。
このような時間がちょくちょくあれば、ま、長生きしても悪くないと思えるんだケドネー。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。