ドロ沼に引きずり込まれる

泥沼

 どうも最近、体のあちこちの機能が急速に衰えてきたように思う。
 今までは呼吸するように何の問題もなく出来ていたことが、急に出来なくなる場面が多くなったような気がする。

 たとえば、畳みの上にじかに尻を下ろして座る(あぐらをかく)と、もう簡単に立ち上がれない。地面に落ちた油蝉のようにジタバタしてもどうにもならず、体を返して四つん這いになり、両手と膝を突いてようやく立ち上がれる。
 外から帰宅して玄関の鍵を開けるとき、鍵穴にキーを挿し込むのに以前は一度でスッと入ったのに、最近はなかなか入らない。玄関先で鍵穴とキーにイチャイチャされるのはイライラする。
 脚立に上がって、天井の電球が取り替えられない。脚立の上に立つとフラフラするからだ。落ちたらまちがいなく大怪我かあの世行きだ。
 ペットボトルやビンの蓋が開けられない。近くの女性に頼むと、若い娘がドアノブをひねるように開けてくれる。情けない。
 リンゴを口に入れても、サクサクッと軽快に噛めない。小さく切って入れても、やはり総入れ歯と仲が悪くていつもゴニョゴニョ。おいしさも半減。かつてのあのサクサクが懐かしい。
 入れるばかりではない、出すほうも軽快にいかない。
 オシッコを出す、つまり排尿時に、かつては便座に座れば間をおかずにスッと出たのに、昨今はやたら待たされる。発車ベル時間が長いのだ。やっと出てきても、勢いというか速度が鈍行列車。新幹線にはもはや永遠に乗せてもらえないらしい。
 
 こんなことを書いていると、いつまでも終着駅に着かないのでやめるが、要するに昨今、できないことが急に多くなった。あるいは何とかできてもやたら時間がかかる。
 いま向き合っているパソコンだって、長く使っていると反応が遅くなってイライラする。90年近くもこき使ってきたわしの体がヨロヘロしても当然といえば当然。生きることの一段階だから、仕方がない。

 ・・・と考えて忘れようとするのだが、すぐ、なぜ人間はパソコンみたいにOSを最新版にアップデート出来ないのか・・・などと愚にもつかないことを思って、やはりまたフラストレーションがタマる。まさに地面に落ちた蝉だ。
 そんなときネット上でこんなことを述べている人物に出会った。
 
「誰の人生にも辛いことや苦しいことが待ち伏せしている。しかもその多くは、嘆こうが怒ろうが悔やもうがどうにもならいことだ。
 であるならばサッサと忘れるに限る。何であれ、こだわったり引きずったりするのは頭の悪い人間のやることだ」と。

 グサッとくるが、反面、そのくらいのことは分かっている、という反論気分も頭をもたげる。だが分かっていてもくり返すのは、やっぱりドコかが悪いということだ。
 ・・・そう思ってメゲるが、とりわけ印象に強く残るのは「引きずる」という言葉だ。
 実にイヤな言葉である。少なくともわしにはドロ沼に引きずり込まれるような感じがする。
 頭に浮かぶのは、薄汚い老婆が着物の裾を引きずってヨロヨロ泥沼に入っていく姿だ。とんでもないイメージだが、おそらく子供の頃、つまり今から八十余年まえに、現実か絵だかで見た記憶が尾を引いているのだろう。

 つまり、これがまさに “引きずり” である。
 やれやれ・・・ダナ。
 

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