出たがるウンコ -脱糞顛末記-
小学生のとき、一年に一回くらいは、学校の教室や廊下で脱糞する子がいた。
その子はそれから1ヶ月くらいは、そのことをとやかく言われた。
「臭え!」と目の前で鼻をつままれるなどは序の口、「クソこき〇〇!」「おい、きょうはまだお出ましにならないのか?」「出そうになったら教えろよ」などとはやし立てられていた。むろんわしもそんな悪童連中の1人だった。
いまは深く反省している。年を経て、曲がりなりにも弱い立場にいる人間の気持ちが分かるようになったからだけではない。思ってもみないことだったが、そしていまでも信じたくないが、自分も同じシクジリをやってしまったからだ。
テレビじゃないから、まさか食事をしながらこれ読んでる人はいないと思うけど、もしそういう奇特な人がいたら、続きを読むのは食事の後にしてね。
70歳を少し過ぎた頃だった。
その日はいい天気だったので、昼過ぎから女房と散歩に出かけた。
天気もよかったが、わしの体調も悪くなかった。すこぶる元気に、そしてご機嫌に、ふだんはあまり行かないところにまで足を伸ばした。
そこまでは不都合なことは何も起きなかった。
ところが帰途についたあたりで、下腹部に少し異変を感じた。
といっても、腹痛とか下痢っぽい嫌な感じのものではなかった。単なるふつうの便意。だから最初は気にしなかった。家までまだ距離はあったものの、十分 “もつ” と思った。
ところが便意は予想外に強くなった。一歩あるくごとに・・・といった感じで、想定以上に速い高まりだ。
これはまずいぞ。家までもつかな。いや、大丈夫、もつもつ、絶対もつ!・・・などと根拠もないことばを言い聞かせながら、しかし女房には気づかれないように平静を装いつつ歩いた。たとえ古女房とはいえ、こんなところで「ウンコがしたい!」などとは、2,3歳の幼児じゃあるまいし、言いたくなかった。
すると女房は、こういう時にかぎって道端の草花に目をとめ、立ち止まったり、しゃがみこんで覗きこんだりする。
「ねえねえ、ちょっと見て。この花、可愛いわァ。・・・何ていう花だったったかしら。何とか言ったんだけど・・・ああ、ダメ、思い出せない! あなた覚えていない?」
花なんてどうでもいい。ましてや花の名前などクソくらえだ。こっちは自分のクソでメいっぱいなんだ! と腹なの中で腹が立った。
そのうち、便意は時とともにますます強くなった。ほとんど限界に近い。正常な歩きを維持するのもむずかしくなった。
小腰をかがめてそろそろ歩かなきゃ、中のモノが危険区域に入りそうなのだ。
こりゃ家までもたんかもしれん。どこかスーパーとかコンビニとか、トイレを借りられそうな所はないか・・・とキョロキョロするが、そこはウン悪く人家の少ない所で、ウン○を処理できそうなところはない。額にあぶら汗が滲みはじめた。
「どうしたの? 顔色がわるいわよ」
ついに女房が気づいた。もはやカッコをつけてる余裕はなかった。
「実は・・・出そうなんだ」
「えっ、出そう? 何が?」
わざわざ聞くな、察しろッ! と言おうとしてあやうく思いとどまった。大声をだすとヤバい。
女房もすぐ事情を察したようだ。なにしろ顔色のみならず、体の動きもおかしかってきていたから。
といって彼女にできることは何もなかった。辺りをキョロキョロしたが、すでにわしが確認ずみだ。
「家までがまんする以外なさそうね」
ひとのことだと思って簡単に言う。
「そのがまんができそうにないから、アセッってるんだって!」
「じゃ、少し足を速めましょうよ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。急ぐとあぶない」
どこか近くの家でトイレを借りるという、緊急避難的手段がないわけではなかった。
だがわしはそれだけはしたくなかった。どこの馬の骨か分からん爺さんが、あぶら汗浮かべた青い顔して玄関先に現われ、トイレ貸してくれなどと言われたら、誰だってイヤだろう。わしだったらイヤだ。ゾッとする。ゾッとされたくない!
わしはここにきて、改めて肚をくくり、一大決心をした。だいぶ家に近づいてきた。もう少しの我慢だ。家まで必死にガンバル。
とにかく何があっても、公道上での脱糞だけは回避する。男として、人間として、そんな最低の不様を女房や人様の目にさらすのだけは、命をかけてしない・・・と。
大昔の映画で恐縮だが、イヴ・モンタンが主演した『恐怖の報酬』というフランス映画があった。莫大な報酬と引き換えに、ニトログリセリンというわずかな振動でも爆発する危険物質を大量に、しかも山越えのラフ・ロードをトラックで運ぶ映画だ。大小のカーブや凸凹の多い山道、崩れかけた崖上の道、さらには今にも落ちそうなおんぼろ吊橋の上などを進んでいく。ハンドルを握るイヴ・モンタンとシャルル・ヴァネル演ずる相棒は、極度の恐怖と緊張で硬直させた顔に、あぶら汗を滝のように流しながら、ソロリソロリと進んでいく。
あのときのわしも、私的には『恐怖の報酬』のイヴ・モンタンの気分だった。抱えている恐怖の素は、ここに並べるのは恥ずかしいくらい大きな差があるが、それを抱え込んでいる人間の恐怖の質やレベルは同じだ・・・とあえてわしは言いいたい。
ともあれ、そうしてついにわが家まであと100メートル余り・・・という所まで来た。
しかし、そこに最大の関門が待っていた。72段の石段である。
迂回する道がないわけではない。だが遠い。とてももたない。
実はわしはそこへ来るまでの間、ずっとそのことを考えていた。そして迂回より敢えて石段をえらんだ。少しでも体のどこかに力を入れると、たちまちニトログリセリンが外へ飛び出してきそうな状況の中で、どのようにしてこの数十段の石段を上りきるか。
石の壁との戦いだった。
わしはそこにある種の挑戦の喜びを感じた。人間はとことん追いつめられると、かえってこういう開き直りが生まれるらしい。そういうところが人間の面白さだ。と言えばいえる。
幸いその石段には中央に手すりがあった。天の助けだとわしは思った。段を上るのに必要な力を、手と足に分散させることができる。そうすることによって、括約筋を押し広げようとする内圧力を、半減させることができる。そう計算した。
わしは慎重に、1段1段上り始めた。横から手を貸そうとする女房の手を払いのけ、自分の手と足と括約筋にかかる力の配分を”最適化”することに、全精神とエネルギーを集中した。
それまでに倍してあぶら汗が流れ出た。首筋や胸や背を伝い落ちるのがはっきりと感じられた。
そして、ついに、72段を上りきった。
わしは思わず天を仰いだ。
そこには大きな緑の樹木が枝を広げていて、うす暗かったが、重なりあう葉の間にチラチラと青空が閃いていた。
「ああ、きれい!」
と思った瞬間だった。ふいに下腹部に何かが動いたと思うとムクムクと盛り上がった
あ、あ、あ・・・と思わず声にならぬ声が出た。と同時にソレは、内部から括約筋を押し広げて外へ出てきた。
「ああ・・・ああ・・・出るゥ~ッ、出るゥ~ッ!」
悲鳴とも絶叫ともつかぬ声が、もはや理性も自尊心も吹き飛ばして口から出た。
こうなったらもう何もできなかった。わが内なるモノは、管轄責任を放棄した括約筋をラクラクと通り抜けて、下着をモリモリと盛り上げていく。わしはそれを為すすべもなく呆然とただ感じている以外になかった。
そのときの感情は、当然ながら、それまでに一度も経験したことのないものだった。
まず無力感。同時に切なく、情けなく、辛く、もの悲しく、空しく、そして、信じがたいことだがかすかな快感・・・等々といったさまざまなものが複雑に混ぜ合わされ、絡みあって全身に満ちた。
わしはしばらくボー然として、ただその場に立ちすくんでいた。
女房も何ができるわけではなく、同じように立ちすくんでいた。
いつも楽しく読まさしてもらってます。
僕もよく脱糞していました。
屁と間違えてミが出るくらいなら可愛らしいですが、モノが出ると泣きますね。
あと少しで自由に放れると思った瞬間が一番危ない。ズボンを下ろすのが間に合わず、全部放出したことが2回。特に仕事中はほんとに困りました。
野糞は日常的に放ってます。罪悪感はあるのですが、こればっかりは仕方ないです。
登山は下山のとき、それも最後の麓に近いところに来たときが一番危ない、
っていいますよね。
脱糞も同じ・・・・というと、山に悪い気がしますけどね。