高齢者はじゃまな生きもの、解決法は安楽死
日本経済新聞の報道によると、100歳以上の高齢者が全国に6万5692人いることが、昨年(2016年)の厚労省の調査でわかった。
前年から4124人増え、46年連続の増加となったそうである。昨年度中に100歳になった人は3万1747人で、過去最多。
めでたい、などと喜んでるやつは、オツムのほうがソートーめでたい。
先月末の衆院解散記者会見で、安倍首相は、我が国の社会補償制度を全世代型へ転換すると述べた。だが軸足を置いていているのは子育て支援等の少子化対策のほうで、”高齢化対策” のほうは付け足しだ。わずかに介護の受け皿への言及でお茶をにごしている感じ。
しかしまあ考えてみれば、行政府のトップとしては当然だろう。卵を産まなくなったニワトリに、せっせとエサをやる養鶏家はいない。過去にモーレツに働いて卵を産み、日本の高度成長を支えたとしてもだ。ムカシはムカシ、イマはイマ。ホントは、さっさとつぶして肉にでもして処分したい(そんな肉だれが食うの?)ところだろうが、そうもいかないので頭を抱えながら、しぶしぶ養っている。
でもできるだけ掛かる費用は節約したい。
日本各地に “姨捨伝説/棄老伝説” というのがある。
知らない人はいないだろうが、年をとって役に立たなくなった老人を山に捨てる風習を伝える話だ。
おそらくこの風習は日本だけではないだろう。形や呼び方を変えて世界各地にあったにちがいない。なぜなら、生きものすべての生死のあり方にかかわる問題だからだ。
人間以外の生きものは、老いて衰えれば他の動物に食べられて命を終える。だが人間だけは、老いて戦えなくなっても、逃げ足が遅くなってヨタヨタしてても、それで命を奪われることはない。
それどころか自然の中なら死んで当然の命を、当人が望むと望まないにかかわらず、ムリヤリ薬や機械で引き伸ばす。
ある意味でそれは自然の掟に反することではないか。
地球上の生きものの中で唯一人間のみが、「生殖を果たし盛りを過ぎれば命を終える」という自然の掟に逆らっている。
つまり人間は不自然な生き方をしている。
わずかに “姨捨風習” によってその不自然を是正しようとしたが、人権意識を獲得した現代ではそれもできない。
わしが思うには、この問題を解決する方法が一つだけある。安楽死。
当人がそれを望むかぎり、好きな時に好きな場所で、安楽死することを合法にする。
もちろんさまざまな問題が存在することは容易に想像できる。
だが、人間の命の最後を決める極めて重大な問題だ。
問題点を粘り強く一つひとつクリアしていく努力に値する。
わしの最後には間に合わんかもしれんが・・・。