霊感・超能力・超常現象について(その2)-女房の霊感度-
きのうに続いて霊感の話である。
わが女房は、霊感度の物差しでいえば、わしより少し左に位置すると、きのうの記事の最後に書いた。
といってももちろん過去や未来のこと、あるいは遠く離れた場所で起きていることが、見えたり聞こえたりするわけではない。
せいぜい、わしには見えないものが時に見える、というか、感じることができるていどである。
たとえば借家探しのときなど、現地の玄関へ一歩入っただけで、「この家にはイヤな気が漂っている」と即断する。
わしにはべつだん他と変わるところなどなく、むしろ条件のよい物件に思えるのだが、彼女は「こんなところには絶対に住みたくない!」と譲らない。
山林を歩いている時なども、とある空間に同様の反応を示すことがあり、そのエリアには絶対に足を踏み入れない。
さて、30年ほど前のことである。
わしらはある家の二階に間借りして住んでいた。キッチン、トイレ、バス等も付いていて、最初から賃貸もできるように作られた2DK仕様だった。
階下に住んでいる大家さん(仮にMさんと呼ぼう)夫婦は、人間味のあるいい人たちで、とても住み心地がよかったので、そこから出たいと思ったことは一度もないまま、二十年も住み続けていた。
そしてその二十年目の、師走に入ってまもないある日のことだった。
朝起きて、なにげなく窓の外へ目をやった女房が、とつぜん小さな悲鳴のような声をあげた。
何ごとかと思って見ると、彼女は顔を蒼ざめさせている。そして、
「松が・・・松が・・・」とうわごとのようにつぶやいた。
「松がどうかしたの?」
「松が切られている・・・」
その前日に植木屋が入って、M家の庭にあった大きな松が切り倒された。わしは家に居たので知っていたが、女房は朝から留守にしていて、帰宅も夜だったので、松が切られたことを知らなかった。
それにしても反応がちょっと大げさだった。
「枝が大きくなり過ぎて塀の外へはみ出ていたから、近所から文句でも出たんじゃないの」
そう言ってやり過ごそうとすると、女房は、
「幸せが逃げていく・・・幸せが・・・幸せが逃げていくわ・・・」
と、目に涙までにじませている。
「バカも休み休みに言え!」
大家の庭の松が切られたことが、わしらの幸不幸とどんな関係があるのだと、わしは一笑に付した。
(おまえさん、ほんとに二十世紀(当時)に生きている人間かい?)
と、大槻教授(きのうの記事参照)ではないけれど、うんざりする気分だった。
しかし2,3日して一時の興奮状態から冷めると、妻は常態に戻った。切られた松のことも口にしなくなった。
年が明けて、1月2月は何ごともなく過ぎた。
だが、忘れもしないが、長梅雨で雨がしとしと降っていた7月下旬だった。すでに80歳近くにになっていた大家の老夫婦が、ふたりそろって訪ねてきた。
明らかにふだんと様子が違っていた。顔が妙にこわばっている。
何ごとかわからないまま、わしたちも緊張した。やがてご主人のほうが口を開いて、
「突然で申し訳ないのだが、家を出ていって欲しい」
と言って頭を下げた。
先ほど、わしたちはここの間借りから出たいと思ったことは一度もないと書いたが、なぜか大家さんもわしら夫婦のことを気に入ってくれていて、日頃から「なんなら一生居てもらってもいいですよ」と言われていた。わしたちもそのつもりだった。それだけにあまりにも突然の話だった。
すると大家さんは、
「急にこういう無理なお願いをするのですから、かくさずに事情をお話します」
と言い、次のような話をした。
大家さん夫婦には3人の娘さんがいた。
3人とも結婚して子供も生まれ、それぞれに家庭を持っていた。ときどき孫を連れて里帰りしてくる姿をよく見たが、幸せそうだった。
特に三女は大学を出てすぐに結婚して、次々と子供が4人も生まれ(上の3人は年子)、彼らに振りまわされて悲鳴をあげながら幸せそうだった。
ひと月ほど前に、その三女の夫が急死した、と大家さんは言った。
まだ30代だったが、過労死だった。
彼は有名企業の社員だったけれど、子育てにお金がかかってほとんど蓄えがなかった。そのうえ三女はずっと専業主婦で、社会にでた経験がないので、4人の幼い子供をかかえた生活が心配だ。親としてせめて一生生活の不安なく暮らせるようにしてやりたい。そのための算段として、この家を取り壊して賃貸用の鉄筋マンションに建て替えることにした、と言った。
「私たちはすでに高齢です。いつ倒れるかわかりません。できるだけ早くコトを進めたいと焦っています。一生居ていただいていいと言っていたけれど、こういう事情なのでご理解いただきたい」
話の途中からさすがにこらえきれずに、老夫婦は涙を流した。
わしたちは衝撃を受けた。
一つはもちろん、三人姉妹のなかでも一番幸せそうだった三女の人生がとつぜん暗転したという事実にである。幸せの頂点から急転直下、奈落の底へ突き落とされたといっていい。「一寸先は闇」という俗諺があるけれど、わしもふくめて多くの人は、自分自身がその闇の底に突き落とされるとは思っていない。
わしにとってのもう一つのショックは、前年末の女房の言動を思い出したからである。
約半年前、M家の庭の松の木が切られたとき、女房は不思議な反応をしめした。そのとき彼女は目に涙までにじませて、
「幸せが逃げていく・・・幸せが・・・幸せが逃げていくわ・・・」
とうわごとのようにつぶやいたのだった。
今、まさにその妻の言葉が現実となって現われている。
これは単なる偶然だろうか。
しかし、庭の松が切られたのを見て、ふつう、唇を震わせて「幸せが逃げていく」などとは言わない。
ただ女房が「幸せが逃げていく」と言ったとき、逃げていくのは「自分たちの幸せ」だとわしらは思っていた。そこが少しちがった。
しかし、今になってその後の人生を振り返ってみると、直接的ではなく間接的ではあったけれど、確かにそれを境に「わしたちの幸せ」も逃げていったのだった。
M家の2階を間借りして住んでいた二十年間は、わしたちにとってまちがいなく幸せな時間だった。
だがこのM家を出たときから一転した。
わしたち夫婦の人生でも最も苦しい時期は、この時から始まって、それからほぼ十年あまり続いたのだった。