100歳老母の判定勝ち -骨は折っても心は折れない-
女房の母親はまもなく100歳になる。
さすがに足腰の筋肉は弱くなっている。しかし、病気という意味では、ほとんど悪いところはない。
耳はだいぶ遠くなったが、補聴器を耳の穴に差しこめばなんとかなる。
で、ひとりで生活している。
「ひとりで暮らせる間はひとりで暮らす」
というのが彼女の意志であり、意地であり、たぶん生きるエネルギー源だ。
自分の産んだ子供らを含めて、他人の世話になるのがイヤなのだという。
せっかく長く生きてるんだから、自分の好きなように生きたい。
それには「ひとりで暮らすのが一番」と言って譲らない。
そして現実にちゃんとひとりで暮らしている。
重くて持てない買い物(主に食べもの)は、週1回きてもらうヘルパーさんの手を借りる。
若いときは女性としては大柄なほうだった。今は小さくなっている。背丈など、若いころの三分の二くらになってるんじゃなかろうか。体重だって40kgをとっくに切っている。
いっしょに風呂に入ったことはないから、じかに裸を見たわけじゃないけど、おそらく骨に肉らしい肉は付いていないと思う。
ダイエットで苦労している女に、「羨ましい、参考のために見せて」と頼まれても、たぶん断ると思う。目の毒だから。
ともかくそんな年齢と身体で、今も独り暮らしを続けているんだから、まあ立派。というかエライ。
こういう生き方は男にはぜったいムリだと思う。
前回の記事『おじいさん と おばあさん』にその理由らしきものに触れているが、男は100歳近くにもなったら、こんなにシャキッとは生きられない。あっちが痛い、こっちがしびれる、とグチグチ泣きごとを並べて、できるだけ周辺に頼ろうとするだろう。
男はだらしがない。
・・・ってわしも男だけど。
さて、その元気な老母が、先日、買い物帰りにつまずいて転んだ。ついでに脚の骨を折った。
人間年をとると(女性は特に)転んだらたいていどっかの骨が折れる。律儀な召使いのように、転びには骨折が付いてくる。
家の中では、つま先に噛みつく曲者がどこに隠れているか熟知しているので、事故は起きない。しかし一歩家の外に出ると、7人の敵じゃないけど、大小の敵があちこちに潜んでいて、ときにやられる。
大きな敵より小さな敵のほうが危険。今回も、スーパーからの帰りに目に見えない小さな伏兵にやられた。
救急車で病院に運ばれて、即入院。
入院して2,3時間後に、付き添いの娘(といっても70代半ば。わしの女房)とケンカを始めた。ベッドに付属する簡易金庫のキーが見つからないのが原因。お互い、キーを預かったのは自分ではない、と主張して譲らない。
実の母娘なのでケンカも遠慮がない。だんだん華々しくなった。入院手続きの書類をもってきた事務のひとが、入り口のところで立ちすくんだまま動けない。わしもへたに口を挟まない。母娘のエネルギーに巻き込まれたら、たちまち弾き飛ばされるのがオチだから。
勝敗が決まるまで黙って観戦。
結局、キーは毛布の間から出てきて、問題は解決した。
だが母娘間の険悪ムードは、鍵を差しこんで解錠するようには解決しない。
おずおず入ってきた事務職員が、まだそっぽを向きあっている老女ふたりに、「いやあ、お二人ともお元気ですねえ」と言って気まずげにアイソ笑いをしたら、老母は、「気にしないで。いつもはこんなもんじゃないから」だって。
老々介護の一場面。
十日目には退院した。医者はリハビリ病院への転院を勧めたが、
「リハビリのためのリハビリはイヤ。リハビリはふつうの生活に戻るためのものなんだから、生活の中でリハビリするほうが合理的」
と言ってさっさと家に帰ってきてしまった。
そのうえ彼女は、付けてるとじゃまと言って、ときどきギブスを自分で外してしまう。素の足で壁づたいに歩く練習をしたり、流しに立って食事づくりをしたりする。
本人はリハビリのつもりだが、そんなことして繋がるべき骨がズレて繋がらなくなったら・・・と娘は心配したけど、退院後最初の外来で診た医者は、
「立派なもんだ、ちゃんと骨が付きはじめている、この年でねえ」
とかえって感心された。
退院して2日後には、娘は、
「あんたはもう亭主のとこへ帰っていいよ。必要なときは電話するから」
と追い返された。
男には真似ができない。
立派!尊敬する!
だいたいのご老人は「こんなこともしてくれない」「これぐらいしてくれてもいいのに、してくれない」⇒私は「くれない族」と呼んでいます(笑)・・・が多いのに・・・
立派ではありませんか!いや、それぐらいでないと100歳近くまで自立して生きて行けますまい!
私の目標とさせて頂きまっす!!!
最後にゃ、私も勝ってやる~~~
わしとは血のつながりのない女房の母親だけど、たしかにシャッポを
脱ぐね、この義母には。
彼女、実は80歳で90歳の夫(義父)を看取るまでは、典型的な日本の
控えめ妻女だった。
自分から主張して何かをするということは絶えて(耐えて?)なかった。
というのも夫が典型的な亭主関白、いや圧倒的な暴君亭主だったからだ。
結婚以来ほぼ60年間、常に亭主の下で亭主の指示どおりに生きてきた。
だが、その亭主がこの世から去ると、彼女は一変した。
はっきりと自己主張をし始めた。
自分はこうしたい、こう生きたいと主張し、譲らなくなった。
こうして20年近く、自分が産んで子供らも寄せつけず、
独り暮らしを続けている。
実は彼女はこの20年で3回 脚を折っている。
その度に入院したが、積極的にリハビリに立ち向かい、全快した。
当記事で書いている骨折は3回目だ。
女 は強い。
といっても強くない女もいるから、彼女のこの強さは、
60年近くに及ぶ亭主の圧政に対する反発心ではないか、
とこのごろ思っている。 (半ボケじじィ)