“医者に殺される” とはどういうことか

患者を殺す医者

 最近、「病院で殺される」とか「医者に殺されないための心得」とかいったことばを題名にした本が、何冊も出版されている。
 あざとい医療ドラマとまちがえそうだが、それにしてもずいぶんどぎついタイトルをつけるものだ。どうせ、版元の売らんかなの宣伝文句だろう・・・と思っていたら、いやそうでもないぞ、と思わせられる現実に出会った。それも思いっきりすぐ身近で。振り返ったらそこにあなたがいた!・・・って感じ。

 このブログには、何度も登場してもらっているいわば常連さんがいる。
 朝から晩まで顔つきあわせている女房ドノは別格としても、それに近い1人に女房の母親がいる。100歳近くになっても独りで生活している例の義母である。

 これまでに書いた彼女に関する記事は、年齢のわりにはしっかりした生き様を扱ったものが多かった。(→「100歳老母の判定勝ち」
 その義母が、ここのところちょっと元気がない。
 ・・・という表現では控えめすぎる。生きる意欲を失ったように見える。

 原因は病気ではない。怪我でもない。医者である。

 ある朝、起きてみると風邪ぎみだった。で、早めに診てもらおうと、義母は医者へ行った。
 すると医者が言ったという。
「あなたの歳になれば免疫力が弱いから、風邪にかかるのは仕方がない」
 さらにこうも言ったそうだ。
「風邪に限らず、その歳ではあちこちに不具合が出るのがふつうだ。体調がいいことをあまり期待しないほうがいい」
 義母がことばを失っていると、ダメ押しのようにこうも言ったという。
「たしかにあなたの頭はまだしっかりしている。若いといえる。立派だ。しかし、体は実年齢通りです。筋肉や骨は年齢に応じた状態になっている。特に下半身がそう。これから良くなることはありません」

 おそらくその通りなのだろう。医学的に間違ったことを言っているわけではないに違いない。
 しかし患者の立場を考えた・・・もっといえば、患者個々人の状況や気持ちに配慮した言葉と言えるだろうか。そういうふうに、医学的事実をストレートに患者に伝えることが、医療という観点からみて正しいやり方だろうか。

 それを証明するように、その日を境に義母の様子が、服を脱ぎ変えたように変わった。
 それまでの彼女は、あちこちに痛みや不具合を抱えながらも、生活はいつも前向きだった。
 週に2回通っているデイサービスなどで、元気だ、若い、見習いたい・・・などとほめられるので、いつしかそれが生きがいになっていた。だから少々つらくても、しんどくても、しっかり前を向いて日々の生活を送っていた。

 義母は和室にふとんを敷いて寝ているのだが、毎日のふとんの上げ下げを、骨に皮が1枚張りついてるだけのような腕でやり、掃除・洗濯も自分でし、ふだんの食料の買い出しはヘルパーさんに頼むけれど、娘が来たときには一緒にスーパーまで歩いて行って、自分で選んで買うことを自分に課していた。また、もともと食べることが好きなこともあり、毎日自分が食べるものも、宅配弁当などに頼らずに自分で炊事場に立って作っていた。

 ところが、先の 医師の “ご託宣” を受けてから、そういう前向きの姿勢が消えたのである。

 あちこちの体の痛みを訴えるようになったし、外を歩こうという気持ちがなくなった。ムリに連れ出しても、歩き方がまさに100歳で、娘の腕に取りすがってよろよろ状態。つい2,3年ほど前までは、腕を貸そうとすると払い除けるくらいだったのに・・・。
 また、前回訪ねたとき買って冷蔵庫に入れておいた野菜が、同じところで変色していることが多くなった。

 少々しんどくても、食事づくりや掃除・洗濯など生活労働を人にまかせないで自分でするのは、そうしていればこの年でもまだ元気でいられる・・・という希望があったからだ。
 多少具合が悪くても、首うなだれないで前向きに生活していれば、そのうちきっと良くなるだろう・・・という思いがあったからである。
 ところが、専門家である医師にそれを否定された。

 この医師は、最近よくあるパソコンしか見ないような医師ではない。聴診器を使い、触診をし、患者の訴えもよく聞く。病気の説明もわかりやすい。女医で自身90歳を超えており、だから高齢者の気持ちも分かる。義母はふだんから信頼していた。
 その医師の言葉だったからよけい、義母はガクンときたらしい。まさに空気がぬけた風船のようになった。

 それは単に、あるひとりの医師の見解であり説明の仕方にすぎない、と家族が言っても、いちどしぼんだ風船をもういちど膨らませるのはむずかしい。そういうところでは100歳という年齢はやはり柔軟ではない。

 運のわるいことにその上へ、7月3日の当ブログの記事に書いたように、老母に良かれと思って断行したリフォームに失敗したことが重なった。(→「人生思い通りにいかないワ」

 今まで頑張って独りで生きてきた自宅での生活に、自信を失ってしまった。老人施設に入りたいと口にするようになった。

 で、家族の苦労はつづく。ついこの間まで、自身の心臓病や股関節炎のご機嫌をうかがいながらリフォームに走り回っていた70代半ばの娘は、いまは老人ホーム探しに奔走している。
 老々介護の見本ここにありだ。

 で、話を当記事のタイトルにもどすと、”医者に殺される” ことは場合によってはあり得る。
 義母を見ていてわしはそう思う。

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“医者に殺される” とはどういうことか” に対して 2 件のコメントがあります

  1. misa より:

    人が生きていく原動力は、つまりは、気力なのだと、この頃つくづく思うようになりました。私の主治医も女医なのですが、何を聞いても歳のせい、老化だフレイルだというので、もう聞かないことにしました。そんなことを、今更自覚して再認識しても、落ち込むだけで前向きにはなれませんもの。気力を保てるように支えて欲しいです。
    ある程度歳をとると、医者は「枠外」扱いにするのだということも実感してます。必要な薬を処方していただければOKと、ふてくされております。当方も股関節の痛みに耐えているところです。

    お義母さまの気力が戻りますように。自立心旺盛な姿勢に勇気をいただいてきました。これから先を生きていく鑑と尊敬しながら、記事を読ませてもらってきました。遠くから応援しています。

    1. Hanboke-jiji より:

      私も80年ほど生きてきて、体力と気力とどっちが先か・・・と
      問われると、気力のほうが一歩先を歩いているように思う・・・と答えるでしょう。
      つまり体力は気力の多寡に左右される場合が多いように思います。
      お医者さんは人間の故障を治す専門家なのですから、そのへんの
      ところを心得ておいほしいと思いますが、お医者さんも人間ですからねえ。
      若い先生にそれを求めるのはムリなのでしょうねえ。
      でもせめてある程度の年齢に達した先生には・・・と思ったりもします。

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