都会の女の子(下)

夕焼けあとの虹

 田舎の少年だったわしに、思いがけず、”夏休み限定” の都会育ちの女友だちができた。
 そのいきさつを前回に書いた。今回はその続きだが、前回を読んでいないと今回書くことが意味不明になる可能性があるので、面倒でも前回分をざっと目を通してから、今回を読んでね。(前回はこちらから)
 
 時が流れて、K子が5年生になると、からだがずいぶん大きくなった。
 むじゃきな子どもっぽさも抜けてきた。
 母親は、「都会の子は成長が速いねぇ、栄養がいいのかねぇ」などと言っていた。
 またその頃になると、K子には土地の女の子の友だちもかなりできた。
 その分わしと遊ぶ機会は減った。・・・というか、わしといっしょにいることはほとんどなくなった。
 とはいっても、ふたりだけになる場面がまったくなかったわけではない。
 
 8月も終わりに近くなって、K子が都会へ帰る日が近づいていたある日の午後であった。
 わしは思い切ってあるところへK子を誘った。
 その年の春休みに、仲間たちと何日も通ってつくった自慢の秘密基地へ、彼女をひそかに案内したのである。
 その帰り道であった。もの凄くはげしい夕立にあった。
 その基地は山の頂きちかくにあって、辺りに雨宿りできるよう所はどこにもなかったので、ふたりとも川に落ちた子犬のようにずぶ濡れになった。

 そのときわしは初めて気づいた。彼女の胸がほんのわずかだがふくらんでいることに・・・。

 じつはわしは内心ちょっとショックだった。が、必死に気づかないふりをした。
 K子のほうは、こんな激しい豪雨の中に身をさらしたことは生まれて初めての経験だったらしく、なかば恐怖、なかば興奮・・・といった状態で山道を駆けおりるのに夢中だった。危険なところでわしが差し出した手も、ちゅうちょせずごく自然ににぎった。母親以外の女の手に触れたのは生まれて初めてだったわが内の胸の高まりを、想像していただきたい。

 あと3分の1ほどで山麓に着くという辺りで、一部視界が大きく開けている場所があった。
 そこへ差しかかった頃には、激しかった雨も嘘のようにやんで、青空さえ見えはじめていた。

 わしたちは足をとめ、荒い息をしながら並んで、夕暮れのせまった眼下の風景を眺めた。
 村のほぼ全景が望めた。
 その村落の向こうにまた山が立ち上がっていて、その山々の上部4分の1ほどに夕日が当たり、紫色に染まっていた。
 ・・・だけではなかった。それら紫に化粧した山頂のいくつかを跨ぐようにして、大きな虹がかかっていたのである。
 
 わしたちは言葉もなく、その夢か幻のような光景を眺めた。
 そのときだった。一瞬、わしの右手の甲が、K子の左手に触れた。
 わしはドキッとしたし、このときは彼女もビクッとしたようだった。でも2人とも、手も引かず体も動かさなかった。身を固くしたままじっと立っていた。・・・

 翌年の夏休みもK子は来た。
 小学校も最終学年になった彼女は体がさらに大きくなり、大人っぽい雰囲気さえ漂わせていた。
 そして最初から、すでに顔なじみになった土地の女友だちとずっといっしょにいた。
 いつのまに覚えたのか土地ことばまで使って、女同士キャッキャッと騒いでいた。そういうところはやっぱりまだ子供だった。
 
 一方わしに対してはへんに冷淡だった。
 その夏最初に目が会ったときも、わずかにそれと分かるていどに目礼しただけで、あとはひどくそっけなかった。
 
 わしもその年の春から中学生になっていて、その自覚があったのと、K子の態度に少々腹を立てたこともあって、自分からは近づかなかった。
 ・・・というか無視した。彼女のほうも同じで、もはやわしにはなんの関心もない・・・といったような素振りだった。
 
 しかし実をいうとその間ずっと、わしの心の中はすさんでいた。理由もないのに弟に辛く当たって、その横暴を訴えられた母親に叱られ、いっそう内心が荒れた。
 それでいていつも後で後悔した。弟に理不尽な行為をしたことをではなく、そういうことによってわしの心の中を母親に見透かされたのではないか・・・という恐れからだった。

 そんなしんどい夏休みも、終わりに近づいたある日の午後だった。
 K子がとつぜん訪ねてきた。
 そして何か棒のようなものを差し出し、「これ、あげる」と言ってわしの胸に押しつけるように渡すと、さっとスカートをひるがえして帰って行った。
 
 それは使いかけの一本の鉛筆だった。3分の2ほどに短くなっている・・・。
 何年か前、夏休みの宿題を見てやったとき彼女が持っていたもので、よく消える消しゴムが頭に付いた高級鉛筆だった。握りごこちも書きごこちも最高に良く、戦後の粗悪品しか使ったことのなかったわしには驚きだった。まさに都会と田舎のちがいを見せつけられた気がした。

 そう言うと、都会にも今はこんな鉛筆を持っている子はいない、ある人から貰ったのだとK子は言った。
 呉れた人(もちろん大人)は文房具にたいへんうるさい人で、まだモノが豊富だった時代に買い置きしておいたものを、特別に一本くれたのだと・・・。だからわたしも宝のように大切にして、ふだんはほとんど使わないと言っていた。

 その日の夕食のとき、母親がなにげなく言った。
「K子ちゃん、あした○○時の汽車で帰るんだって」

 わしはその夜なかなか寝付かれなかった。
 母親がK子の帰る列車時刻をさりげなく教えたのは、ひょとしたら「見送りに行ってあげたら?」とナゾをかけたのかもしれないと思った。うれしいようでもあり、心の中の秘密をのぞかれたようで恥ずかしい気持ちでもあった。

 K子が4年生までは、田舎から帰るときは母親が迎えにきた。だが前年・・・5年生になってからは、ひとりで帰るようになっていた。その意味では見送りに行きやすい。
 ・・・と、思いながらはっと気づいた。仲良くなった数人の土地の女の子たちが、ぜったい見送りに行くだろうと。そんなところへ自分がひとりノコノコ顔を出したら・・・。
 自分はとてもそんな勇気は出ないし、彼女だって迷惑なのでは・・・。
 
 そうだ、あそこから見送ろう、とわしは思った。
 前年、秘密基地を見に行ってかえりに大夕立にあったあと、山々の上に大きな虹を見たあの裏山の高台・・・。
 
 もちろんわしが見送ったことは彼女には分からない。だがあとで手紙に書けばばいい。そのほうが何かロマンチックではないか・・・という気がしてきて、ようやく眠れたのだった。
 
 翌日、もちろん裏山に登って、黒いヘビのような列車が都会へ走り去っていくのを見送った。あのマッチ箱より小さい車両のひとつに、K子が乗っているのだ。ひょっとしたら車窓からこちらを見上げているかもしれない・・・などとありえない想像をしながら。

 だが、そのあと、K子に手紙もハガキも出さなかった。
 K子も翌年に中学生になってからは、もう村へやってこなくなった。
 その後何年かは、K子に関する小さなうわさを風に舞う花びらのように聞いたが、そのうちそれも途絶えた。
 
 ・・・・・・
 こんな話をいまの子にすると、思うだろうなァ。
「むかしの子ってめんどくさかったのねぇ、さっさとコクっちゃえばいいのに・・・」って。

 ほんと、わしもそう思うよ。

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