手前味噌は美味くない

マナー

 わしらがいま住んでいる所は、昔からある道が多く残っている。
 道幅もさまざまだ。

 
 クルマの免許証も自転車も手放したわしらは、日常、もっぱらこれらの道の上を歩いて移動する。買い物にも、医者通いにも、逢引きにも・・・。(最後のは余計なツケタシね)
 
 当然、向こうから来る通行人とすれ違うことがある。人だけではない。クルマや自転車ともすれ違う。
 場所によっては道幅にすれ違う余裕がない所がある。相手が人間の場合でさえもね。
 
 そういうときは、どちらか比較的道に幅のあるほうが停まって相手を待つ。そのまま双方が進めば衝突、もしくは接触事故を起こすからね。(相手が美人のばあいは事故も厭いません・・・なんて余計なことは言いません)
 
 そういうとき、待ってもらったほうが待ってくれたほうに、ちょっとアイサツするのがマナー(礼儀)だろうと思う。車なら軽く手をあげるとか、自転車ならスミマセーンと言うとか、テクテク同士なら小さく目礼するとか・・・。
 
 ところがわしの経験では、そうする人はほとんどいない。する人としない人の割合は1:9くらいだと思う。
 
 ちょっと話がそれるが、外国からやってくる観光客が、日本や日本人に対する印象をネットに書き込んでいるのをちょくちょく目にする。
 
 そこで比較的多く言及されているのが、日本人の礼儀正しさだ。
 
 それはまあ確かに、電車やエレベーターの中で傍若無人に仲間と話をするとか、ひどいのになると車内の片隅で幼児に用を足させるとか(当該国でもニュースになったくらいだからこれはまあ特殊な例かもしれないけど)する国から来れば、日本人は礼儀正しいと見えるかもしれない。
 
 しかし、日本人がほんとうに礼儀正しいと言えるのかどうか、わしは少々疑問に思っている。
 
 路上で偶ゼン知人と出会ったとき、日本人はキツツキみたいに何度も頭をさげて挨拶をするので、そういう習慣のない国の人がみれば、礼儀正しい国民と思うかもしれない。だがそれは単に日本人の生活習慣にすぎない。
 
 また利害関係のある仕事上の相手であれば、ペコペコと言いたいくらいお辞儀をし合うけれど、それだって取引きをうまく進めるための手続きだ。トランプ大統領が使うオドシと本質的には変わらない。
 
 礼儀のほんらいの意味である「相手への敬意や感謝の気持ちを表す作法」とは無縁だ。
 
 その証拠が冒頭にあげた道譲りである。
 もし日本人がほんとうの意味で礼儀正しい国民ならば、すれ違うときに道を譲ってくれた相手に軽く挨拶する人がもっといていい。少なくとも半々か、6:4くらいは・・・。
 
 そういうのが自分たちの実態なのに、日本人は自分たちが礼儀正しい国民だと思っているフシがある。
 だがそれは、カン違いとウヌボレを混ぜ合わせて醸造した、手前味噌だ。
  そういうのはあまりカッコよくないのではないか。
 
 わし? 道を譲ってもらったらちゃんとアイサツするぞ。9:1くらいの割合で。
 
 なんだ、お前さんがやってるんじゃないの、手前味噌。
 

        お知らせ
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

にほんブログ村 その他日記ブログ 言いたい放題へ
(にほんブログ村)

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です