こんなときどうすればいいの?

NHKのEテレで、月曜日から木曜日にかけて毎日、『きょうの健康』という番組を放映している。
「きょうの健康」さえあれば、それだけで何をおいても「神に感謝すべき状態である」というのが、わしら老人の実情である。
・・・であるので、できるかぎりこの番組を見るようにしている。
あまり楽しくはないけど、努力して毎回見ている。
その番組で、先日、認知症の特徴の一つとして、「意欲がなくなる」ということを挙げていた。
それを聞いてやっぱりと合点するところがあった。
・・・というのは、最近妻が明らかに生活に意欲を失っているからである。すべてにおいて、自ら何かをするということをしなくなった。
当方から何かするように促すと、できることならする。穴だらけではあるけれど。
しかし指示を出さないかぎり何もしない。
というより、何をしていいのか判らないらしい。
指示したことが一応終わると、いつもなんとなくウロウロしている。
以前は、自由な時間ができれば溜まっていた新聞を読むとか、本か雑誌を手にするとか、ベランダに出て植物の手入れをするとか、絵を描いたりしたものである。
が、近ごろは、毎回迷路にはまった子供みたいな顔になる。どっちに歩きだせばいいのか判らず、途方に暮れている感じ。
そのまま放っておくとどうなるか。
寝るのである。自室に入って、布団の中に入って、文字どおり眠る。
じつによく寝る。わしなど、睡眠が足りていれば眠ろうとしても眠れない。いろんなこと(主としてあまり楽しくないこと)が頭の中を行き来して眠れない。
ところが彼女は放っておけば、一日に20時間でも眠れる。体内時計が壊れているとしか思えない。いや壊れているのはやはりアタマの方か・・・。
寝ている間は頭も身体も使わないだろう。夢をみれば多少は使うのかもしれないけれど、それがすべてだ。
そして、人間は使わないと確実に衰える。身体も頭も・・・。これは100%確実。
で、心配。とても・・・。
で、寝過ぎないように言うと、あまりうるさく言わないで、と不機嫌になる。
認知症患者への対応で重要なのは、当人の気分を害さないことだと、タコができるほどあちこちで耳にしている。どんなに筋の通らないことでも、滅茶苦茶なこを言っても、非難や否定をしないで受け入れる。でないと症状を進行させるという。これは認知症対応の基本中の基本であるそう。
・・・なので悩んでしまう。
人間は生まれたら必ず死ぬ。
その間にいろいろなことが起きる。
だがそれが人生だから、黙って受け入れるしかない。
しかし、わしが現在直面しているようなこんな場合は、どうすればいいのだろう。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
毎日ご苦労様です。
「行方不明」「怪物」そして今回の「どうすればいいの」と、身につまされる想いです。
妻は介護3に昇格?しましたが、私は今の所幸いな事に健康で、車の運転免許も返納せず、運転を続けていますので、車に車椅子を積み込み、公園にいったり、スーパーで買い物をしたりと、出来るだけ家内を外に連れ出すようにしています。
寒さも峠を越し、来週から温かくなるそうですので、桜も咲き始めるでしょう。来週からはコンビニ弁当を持ち花見に行こうと思っています。
しかし私も胃癌と膀胱癌の手術をしており、一応寛解していますがいつ再発するかもわかりません。又、心電図にも異常があり、膵臓も膵嚢胞があり医者からは膵臓癌になる確率が高いと驚かされています。
しかし、これらの事は80才にもなれば仕方の無い事と半ば諦め、私にどれ程の余命があるのは分かりませんが、生きてる間は家内の介護生活を続け、家内と手を取り合って生きて行こうと思っています。
コメントありがとうございます。
”私は今の所幸いな事に健康で、車の運転免許も返納せず、
運転を続けていますので、車に車椅子を積み込み、公園にいったり、
スーパーで買い物をしたりと、出来るだけ家内を外に連れ出すようにしています。”
このくだりを読んで、色呆け爺さんは車が運転できてほんとに良かったなあと、
ホッとした気持ちになりました。私はすでに免許返納をしてしまっていて、
妻を連れだすにも身近な所しか行けません。もっとも90歳まであと
わずかになって衰えが進んだ今となっては、免許証があってももう
車には乗れないでしょう。
貴兄もけっこうたくさんの病気の可能性を抱えているんですねぇ。
でも現在は健康であるとのこと。とにかくそれが何よりです。
先のことは先のこと。
現代日本の知性の代表のように言われている養老孟司氏が、
「なるようになる。これが90年近く生きた私の結論です」とのたまっているようです。
じつは私も同じことを考えていて、最近の口ぐせは、
「あるがまま、なるようになる、ケセラセラ!」です。
まあお互いに、命を与えられている間は頑張って生きましょう。(半ボケじじィ)