口の中の一生
還暦近くまで、そんなヤツがこの世にいるとは知らなかった。
頭の毛とともに、50代が残り少なくなったある日のことだ。
下唇の裏側にチクチクする痛み感じた。そんなところが痛むのは初めての経験だ。
最初のうちは放っておいたのだが、だんだん痛みがひどくなった。魚の小骨でも刺さっているのかと手鏡をとり出し、親指と人さし指で唇の先を引っぱって、内側を見てみた。
あったのは魚の小骨ではなかった。
思いもかけないものだった。
蚊が卵を産みつけていたのである。・・・と一瞬わしは思った。
要するにそう思わせるものがそこにあったのである。
白い楕円形の、ニワトリの卵をうんと小さくしたようなもの。そいつが唇うらの粘膜に張りついていたのである。ただし小さいので “蚊の卵” を連想したのだ。(ナント豊かな想像力であるコトよ!)
しかし考えてみると(考えてみなくてもだが)、どんなモノ好きな蚊でも、人間の口のなかに卵を産みつけるわけがない。蚊はふつうドブや汚い水たまりのなかに卵を産む。いくら酔狂な蚊でも、ドブと間違えてわしの口を選んだとは考えにくい。というか考えたくない。
そこでネットで調べてみた。
で、分かった。この蚊の卵のようなものは、口のなかにできる潰瘍であるということが・・・。いっぱんに口内炎と呼ばれる。
要するに一種の病気だ。疲労・ストレスによる免疫力の低下や、睡眠不足や栄養不足などが原因でできるらしい。認知力の低下とはまあ関係ないらしいので、ホッとしマシタけどね。
この病気は放っておけば10日~2週間ほどで治る。
・・・といっても、この10日~2週間は生きているのがイヤになる。
なんども経験してみて思うのだが、この口内炎ってヤツは人間の一生とどことなく似ている。
まず頼みもしないのに勝手に生まれてくる。
日とともに身体が大きくなる。
成長とともに痛み(→苦しみ)が強くなる。
誕生後2,3日ごろ・・・人間で言えば思春期から青年期あたりだろうか、ひとの迷惑もかえりみずに自分勝手に暴れまわる。周辺の心労はこの上ない。痛いの痛くないの、食べものがちょっと触るだけでも飛び上がる。
人間と違うところもある。
人間は青年期をすぎて壮年期以降になると、自分勝手に暴れまわることは少なくなる。だが口内炎は(少なくともわしの口のなかに出没するヤツは)、時を経ても元気ハツラツを失わない。人間のように大人になれば多少とも遠慮するとか、周囲に配慮するとかいうことがない。日とともに白い楕円形陣地をすこしずつひろげ、同時にその周辺が赤くはれてきて、食べ物どころか唾液がさわっても痛いと感じるようになる。それが終末期近くまでつづく。
そしてあるとき、ふと、前日よりほんの少し痛みが弱いかなと感じる。
それからは一挙。口内炎はあっという間に生命の炎を失い、1日2日くらいであっけなく消える。
こういう炎症が同時期に数ヵ所で発生することもあれば、少しずれながら次々と生まれてくることもある。そのたびに辛い思いをさせられて、うっとうしくて人生がイヤになる。
何でこんなものができるのだろう、と、こいつが口の中にやってくるたびに思う。
頼みもしないのにとつぜん生まれてきて、辛いしんどい思いをさせて、時くればさっさと消えてゆくだけの存在。
そんなものがなぜ、わざわざ口の中に出てくる必要があるのか。この世に生まれてくるいかなる意味があるのか・・・と。
・・・などと考えていると、深遠なるテツガクをしているような錯覚に陥る。
老人はヒマなんです。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。