わけ分かんない・・・
義母が永眠して早や2ヵ月半がすぎた。
時間の経つのが速い、あっという間だねぇ、何してたかねぇ・・・なんて年寄りのヒマ話を夫婦でしていて、ひょいと2ヵ月半前に話がもどり、母親の臨終のときの話になった。
息を引き取ったことを主治医が告げたとき、女房は何をしたかというと、何とはなく母親の体にさわってみたくて、毛布の下に手を入れて足にふれてみたという。
生きている時とほとんど変わらない温みがまだ残っていた。でもそのときは間違いなく母の命はすでに消えていたわけで、ちょっとフシギなな気がしたという。命は亡くなっても体はまだ完全には死んでいない。生の影を残している・・・。
くるまは急には停まれない・・・。不謹慎かもしれんが、わしは何とはなくこの言葉を思い出した。
また、その話を聞いたわしの頭のなかには、前回のこのブログに書いたばかりのメジロがよみがえった。わが家の窓ガラスに激突して、一瞬にしてあの世へ飛び立ったドジなメジロのことである。(参照→「小鳥も爺ィもよそ見をすれば・・・」)
このメジロの死骸を手のひらの上に載せたときも、同じような感じがあった。
生きものとしての命はまちがいなく失われたのに、生きている時とほとんど変わらない温かみを体に残していた。
数時間後に、庭の片隅に埋葬してやろうとふたたびメジロを手にしたときは、完全に冷たくなっていた。そのとき初めて、ああ、これがホントの死だ・・・そう思った記憶がある。
それがどうした?
・・・と言われれば、すみません、どうもしません、という以外にないのだけど、こんなことがきっかけで、そのあと何となく、生きものの命って何だろう、いやそもそも生きものって何なんだ?・・・っていう思いへつながったの。
生まれてくればこうして必ず死んでいく。なのに何のためにわざわざ生まれてくるのだろうって・・・。
生まれてきて何をするかといえば、メシ食ってクソしてネてトシとって死んでいく。結局、ただそれだけじゃないの、生きものって・・・。
コを産んだのはコを残していくけど、そのコだってまた同じコトをくり返すだけだろ。ちがう?
何のためにそんなことするの?
ハナからこの世にいなけりゃ、いないでいいんじゃないの?
べつに何の問題も起きないんじゃない?
金星や火星を見りゃあ分かるだろう?
ホント、わけ分かんないなァ。
・・・なんてことをつい考えちゃうのはわしだけだろうか。
そうだ、お前サンだけだ。
ヒマ持て余してんなら、もう少し人の役に立つことを考えろ。
・・・って言われるのは分かってるんだけど、その “役立ってくれる人” だって、同じように何の意味もなく生きてるんだもんなァ~。
やっぱりわけ分かんないよ~。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。