小鳥も爺ィもよそ見をすれば・・・

メジロ

 庭木に小鳥が来て餌を求め、枝から枝へ飛び移っている。
 目の端にうごく影を感じて本から目をあげ、ぼんやりその姿を追うのは楽しい。
 だがそういう平和な世界にも、一瞬にして死が差し込まれることもある。
 それがこの世である。

 数年前になるだろうか。
 そのときも居間の窓ぎわ近くに椅子を引っぱってきて、本を読んでいた。

 ・・・と、背後のガラス戸の辺りでガシンという大きな音がした。
 振り返ってみたが、ガラス戸にも、辺りにも、べつだん何か変わったところはない。
 狐につままれた気分だった。
 思わず本を落としそうなくらい大きな音がしたのだ。にもかかわらずどこにもそんなシルシはない。気配さえない。
 いよいよわしもコワレてきたか・・・と思いながら、それでも椅子から立ち上がってガラス戸を開けてみた。
 
 春もさかりで、緑がいちだんと濃くなった庭も、どこといってふだんと変わりのない顔をしている。

 一体、いまの大きな音は何の音だったのだろう・・・といよいよ不審な気持ちになっていると、ふと足元あたりに何かを感じた。
 目を落としてみると、ガラス戸近くの地面に、見慣れないものが落ちていた。

 ヨッコラショとしゃがんで、顔を近づけて見てみた。
 小鳥だった。スズメくらいの大きさだが、羽の色が黄っぽい緑色である。目のまわりに太いアイラインでも引いたように白い輪がとり巻いている。メジロだ。

 手を伸ばして指先でつついてみた。動かない。すでに死んでいるらしい。土の上からそっと拾い上げて、手のひらの上に載せてみた。体をつかんだとき首がぐにゃりと垂れたから、死んでいるのは間違いないだろうが、まだ生きてるときと同じように温かい。
 
 ともあれ、さっきの大きな音の原因はこのメジロだったと分かった。
 察するに、ガラス戸のガラスに美しい青空が映っていて、可哀そうにこのメジロは、その青空がニセモノであることに気づかず、飛んできた勢いのまま、もろにぶつかったのだろう。
 そこにあると思ったものがなく、別のものがあった・・・。

 小鳥のことを笑えない。
 たとえば昨今の人間の空には、フェイクニュースをはじめとするニセ情報が飛び交っている。クモの巣のように張りめぐらされて・・・。
 人間たちは、そのニセモノにぶつかって手足を傷つけたり、中にはこのメジロのように首の骨を折って政治生命を失ったものもいる。
 
 ・・・といったタトエ話もできるが、わしがガラスにぶつかったメジロで思い出したのは、もう少しレベルの低い話だ。
 
 2年ほど前のことである。
 わしは市立中央図書館で本を借りて、玄関を出ようとしていた。
 この図書館は現代的な建物で、ファサードは総ガラス張りである。そのファサードの中央に、これもガラス製の回転ドアが設置されていて、訪問者はそこから出入りする。

 で、わしは、内から外へ出ようとしてその回転ドアに近づいていた。
 と、外からも1人の女性が回転ドアに近づいてきた。
 スタイルも容貌も相当な美人だ。わしの目が思わずそっちへ行ってしまったとしても、老いたるとはいえ男として健康であるアカシであり、恥じるところはない。・・・と思う。

 で、「この図書館にもこういうモデルのような美人が来るんだ・・・」などと愚にもつかないことを思っていたら、ガシンッとぶつかった。回転ドアの脇にあるガラスの壁に、わが顔が激突したのである。文字どおり目から大小の星が派手に飛び散ったし、音もかなりデカかった。そこにガラスの仕切りがあることは、メジロと違って知ってはいたのだが・・・。
 
 うろたえているわしの傍らを、女は軽やかな身ごなしで回転ドアを通り抜けたが、一瞬だけチラリと目に入ったのは、かすかに笑っている女の目だった。
 
 さすがに恥ずかしかった。
 この手のドジは誰だって恥ずかしいが、とりわけ80を超えたいい爺さんがやった・・・ということが、やはり恥ずかしかった。
 年を考えろ、年を!・・・と。
 
 しかし、こういうときに傷口につけるクスリを、用心深いわしは常に携帯している。
 日本古来の名言である。
 いわく。「命長ければ恥多し」

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