都会の女の子(上)
前回、少年のころの夏の輝きの1ページを書いたが、今回も、もう一つ。
(前回はこちらから)
わしの子ども時代の夏の思い出に、特別な色を添えたものがある。
“都会の女の子” である。
当時、わが家の近くに同姓の家があった。遠縁にあたる家筋だということだったが、その家の次男が都会に出て所帯をもっていた。
夏休みになると、毎年、その次男一家が家族づれで帰省してきた。
次男夫婦には子どもがひとりいた。わしよりひとつ年下の女の子だった。
最初に会ったのは彼女が小学2年生、わしが3年生の時だった。
親たちは来て2,3日もすれば都会へ帰ったが、女の子(仮にK子としよう)はひとりで残って、さらに半月ほど祖父母の家に滞在するのが通例だった。
祖父母と同居している同家の長男の子供たち(K子の従姉弟)は、年がかなり離れていた(年上)し、最初のうちは土地に同性の友だちがいなかったので、K子は手持ちぶさたで寂しげだった。
それを見たわしの親が、うちは親戚筋なのだし、家も近いのだから、いっしょに遊んであげなさい、とわしに言った。
「えーッ、オナゴといっしょに遊ぶのォー?」
わしはいかにも嫌そうな顔をして見せたが、内心はうれしくてドキドキした。
K子は、学年別学習雑誌の表紙に載るような美少女ではなかったけれど、いやいま考えると、むしろ並みに近い顔つきだったと思うが、わしには特別にかわいい女の子に見えた。髪形や着ているものがどこか垢ぬけていたし、何げないしぐさなども田舎の女の子と違っていて、気を惹かれた。
だが、なによりも強くわしの心をとらえたのは、彼女の話す都会ことばだった。泥臭い(とわしには思えた)土地ことばしか耳にしたことのないわしには、とても新鮮だった。はっきりいうと、うっとりするほど魅力的だった。
その頃の田舎では、男の子が女の子とふたりだけで遊ぶということはほとんどなかった。それが気にかかるといえば気にかかったが、K子とふたりだけで居ることの喜びには勝てなかった。
その気になれば、わしの仲間も引き入れてK子をふくめ3,4人で遊ぶこともできたのだけれど、わしはそうしなかった。
といっても特別のことをしたわけではない。ふだん田舎の子どもらがやっていることをやるだけで、K子はとても面白がってくれたからである。
たとえばイナゴを捕まえて、手のひらの上にのせ、お尻をつついて飛び立たせるだけで、手を叩いて大喜びした。いつもは、誰のイナゴがいちばん遠くまで飛んだか、その飛距離を競って遊ぶのだが、K子は手のひらからイナゴが飛び立つだけで面白がった。
自分もやりたいというので、K子の手のひらの上にイナゴをのせてやると、くすぐったいと言って体をくねらせ、イナゴが飛び立つと、月へロケットを飛ばせたかのように歓声を上げた。
持ってきていた彼女の夏休みの宿題を見てやったのも、楽しい思い出だ。
1学年上のわしにはあまり難しくはなかったし、彼女が苦手の算数の問題をすらすらと解いてやったりすると、当時水泳で世界記録を連発していた古橋廣之進選手を見るような “尊敬のまなざし” で見てくれた。それはほとんど陶酔に近い快感だった。
ところが、そういう夏休みも3,4年目もすると、わしには思いもしなかったふうに状況が変わってきたのである。(すでに長くなったので、詳しくは次回に書きます)(→ 次回はこちら)
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