否応なくトシを感じさせられるコト

自分で言うのもなんだが、若い頃のわしは、時代の最先端を走っているという自覚があった。その頃していた仕事(テレビのドキュメンタリー番組やテレビ・コマーシャルの制作)のせいが大きい。
そして時は流れ、今や、時代の最後端に立っている。・・・というか、時代のいちばん端っこにボーゼンと佇んでいる。
先月(3月16日)にNHKで放映された「NHKスペシャル」、そして先日(4月19日)の「プロジェクトX」というの番組で、日本発のボーカロイド音楽が、世界中の若者の間で大ブームを巻き起こしている、という状況を取り上げて放送していた。
イギリスやフランス、アメリカや北欧など欧米のみならず、インドやマレーシア、ベトナム、韓国といったアジア諸国でも同様の現象が起きているという。
ちなみに「ボーカロイド」というのは、(生の楽器や人間の音声ではなく)パソコンを使って音楽の制作を行なうソフトウェアのことである。(有名なのは「初音ミク」)
なぜこのような現象が起きているのかというと、これらのボーカロイド音楽が、現代の若者たちにとって、表現しようのない体の奥底にある気持ちを代弁してくれているから・・・というのである。まさに自分自身のことが表現されている、と感じるという。
それらのボーカロイド楽曲は、90歳に近くなったわしには、正直いって機械的かつ無機的でなんの感情・感興も引き起こさない。壁やトタン屋根を、ノコギリやトンカチで叩いたり引っ掻いたりしているようにしか聞こえない。
ところがそのような音楽が、彼ら現代の若者の間に、先に述べたような熱狂的とも言える共感の渦を巻き起こしている、というのである。
一部の(あるいはある特殊な地域の)若者だけに限った話ではない。現代に生きる世界中の若者たちの間に、そういう現象が起きているという。
音楽が好きで、一日じゅう何かの音楽をかけっぱなしで過ごすことが多かったカミさん(81歳)に訊いても、それらボーカロイド音楽はただうるさいだけ、と言っている。
これはやはり生まれ育った時代の違い、いわゆる世代間ギャップという以外にないのだろう。が、それにしても、人間の生まれ育つ環境がこれほど大きな違いを生むことに驚きがある。
・・・と同時に、自分が今や、世界でいちばん古い時代にこの世に出てきた人間であることを、あらてめて思い知らされている。時代の中心から外れて端っこにただぶら下がっているだけの存在。人間の身体で連想するのは “目やに” だ。
こんな目やにのような人間は、さっさとこの世から消え去ったほういい。
じつはわしは「安楽死願望」を胸の底に持っている。
命あるかぎり、出来るだけ最後まで生きたいと思っている人はもちろん生きていていい。そのために障碍となるものはすべて取り払うのも文句はない。
しかし、自分の命の最後は自分で決めたい、と思っている人には、その自由と権利を与えるべきだと思っている。
・・・が、それが公的に認められる社会になるのは、まだまだ遠い先のことだろう。
少なくともわしには間に合わない。
残念だ。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。