苦い記憶

中居正広事件

 タレントの中居正広氏がフジテレビの女性アナウンサーにおこなったセクハラ事件の詳細について、最近、第三者委員会が調査報告書を公表し、それを受けて、ここのところマスメディア(特にテレビ)が報道合戦を繰り広げている。
 
 被害者の女性も談話を出して、PTSD的な症状で苦しんでいることを述べ、「こんなことは業界だけでなく、社会全体から無くなることを心から望みます」と訴えていることも報じられた。
 
 フジテレビの社員が、性暴力をうけたこの女性の退社を伝えると、中居氏は、「了解、ありがとう。ひと段落ついた感じかな。色々たすかったよ」と、まるで鳥の羽根のように軽く返信したと、某新聞の記者(おそらく女性記者だろう)を呆れさせている。

 この新聞記事は最後を次のように締めくくっている。
「もしも、と想像する。誰かが傷つき、悲しむようなことが近くで起きていなかったか。それに気づかない自分はいなかったか。」と。
 
 この事件に限らず、実はわしは、女性へのセクハラ事件が報道されるたびに胸を痛くする。そんな思いがある。
 
 昔わし自身が、今からすればセクハラと言われ、非難されてもしかたがないような行為を、知り合いの女性にしたことがあるからである。
 しかもその女性が当方へ好意を持っていることを知っていて、(自分は彼女に愛情がないにもかかわらず)彼女の好意に単に乗じる形で強引に性行為を迫ったことがあるのです。
 
 そのときわしは21歳。精神的にきわめて未熟。
 その行為が相手の女性にいかに非礼で恥知らずであり、非難されるべきものであるかが頭の中で分っていなかった。

 今からほぼ65年前のことで、社会に“セクハラ”などという言葉はもちろん、そんな概念もなかった。
 いやむしろ、それくらいのことができなければ男じゃない、といったような風潮さえ普通にあった。

 まさに女性蔑視思想そのものである。
 恐ろしいのは、そういう意識(女性蔑視的風潮が人間として間違った心得ちがいであるという意識)が、当時の(男)社会になかったことだ。
 もちろん前述したとおりわしにもなく、むしろ一人前の男としての証明をするような思いでいたのだから、我ながら救われない。
 
 現在世の中は大きく変わって、女性に対する考え方も対応のあり方も激変している。
 その変化は、人権や人格尊重の考えからいっても人間として明らかに正しい進歩であり、喜ぶべきことである。

 その現在の正しい常識からすれば、若い頃にわしがおこなったことは、弁解の余地のない非難されるべき行為である。

 で、中居正広問題のような(現代でもちょくちょく起きる)セクハラ事件が報道されると、わしの胸は痛むのである。
 そのときの女性が今も生きていて、どこに住んでいるか分かるなら、手厚い手紙を出すなり、場合によっては直接会いに行ってでも、謝りたいという気持ちがある。
 
 が、今となれば彼女の手がかりはまるでない。
 若いときの消すことのできない人生の汚点として、あの世まで抱えていく以外にないだろう。
 
 最後にその汚点の内実をもう少し詳しく告白すれば、そのとき相手の女性の強い抵抗にあって、わしの行為は完遂することなく結局失敗に終わったのだった。
 ある意味ではそれでわしの罪は多少軽くなったかもしれないが、やはり男として不様であった・・・と言えなくもない。そんな居心地悪さも一緒にあの世へ持って行く。
 
 ・・・などということが今なお尾てい骨にあるところが、わしらの世代の男の限界である。
 汗顔である!
 

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